BAUHAUS100周年 2 バウハウス・デッサウ校舎 ガイドツアー&実用情報

デッサウ校舎のガイドツアーに参加してきた。 英語ガイドツアーは金曜日のみなので、土日にはドイツ語バージョンしかない。 チケットを購入する際に、「デッサウ校舎」と「マイスターハウス」のガイドツアーに参加したいというと、デッサウ校舎はガイドツアーに参加しないと入れない部屋がたくさんあるけれど、マイスターハウスは「個人でもツアーでもアクセスできる部屋は同じなので、(ドイツ語があまりうまくない)あなたには不要です」 と言われたのでデッサウ校舎のツアーだけ参加した。 ガイドツアー所要時間は1時間/7ユーロ。 講堂やグロピウスのオフィス、寮は、個人では入れないので、ドイツ語が全くわからなくてもツアーに参加する価値はあると思う。 ただし、ツアー参加者は20人くらい居て、みんなでぞろぞろ移動するのでゆっくり見ることは難しい。ツアーで一通り歩いて、後から気になったところはもう一度見て回っても良いかもしれない。   時代背景 1902年 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが「工芸ゼミナール」を設立 1914年 第一次世界大戦開始 1915年 グロピウスが工芸ゼミナールの校長になる 1918年 第一次世界大戦終結 1919年 国立ワイマール・バウハウス設立 1921年 パウル・クレーが教授として参加 1922年 ワシリー・カンディンスキーが教授として参加 1923年 デッサウに航空機メーカーのユンカース発動機工場有限会社が設立 1925年 デッサウ市立バウハウス設立 1928年 ハンネス・マイヤーが校長になる 1929年 世界恐慌 1930年 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長になる 1932年 バウハウス、ベルリンに移転 1933年 バウハウス解散 1933年 ヒトラー内閣 1939年 第二次世界大戦開始 1996年 ワイマールにバウハウス大学が設立された 1999年 デッサウに「バウハウスコレーグ」が設立された     デッサウでは当時、ユンカース航空機などの製造業が盛んで、市としてバウハウスの招致に積極的であり、公共、私企業を問わずバウハウスと密接な関係を結び新しい素材や製品が開発された。 第一次世界大戦で破壊された街の復興のために、新しいデザイン、建築が必要であるという信念があった。 芸術と技術を融合させ、大量生産が可能な仕組みを作り、一般市民にシンプルで美しいデザインの住宅や家具、道具を供給する。赤、青、黄色の三原色と三角、丸、四角というシンプルな形がバウハウスの基本となり、1933年に閉校するまでの14年間で、モダン建築、デザイン、芸術、絵画などに大きな影響を残した。 第二次世界大戦前後に多くのバウハウス関係者はアメリカに亡命し、様々な形でバウハウスの活動を引き継いだ。   [Work shop ワークショップ] ガラスのカーテンウォールが素晴らしいワークショップ。 グロピウスは「透明である・オープンであること」にこだわって、このガラスのカーテンウォールをデザインした。 天井のライトは、1926年にマリアンネ・ブラントとHans Przyrembelがデザインしたもの。バウハウスで見かけるデザイン全てに思うことだけれど、100年近く前にこのスポットライト型ランプがデザインされて居たことに驚く。当時、車を持っていたのはグロピウスだけで、バウハウス校舎の周りには馬車が走っていた。 第二次世界大戦中、1945年に近くに爆弾が落ち、ガラス・カーテンウォールは破壊された。戦後しばらくの間は、窓はレンガで覆われ、爆撃された近所の病院の代わりになっていたので、バウハウスで生まれた人もいる。   1963年に再建が始まり、ガラス窓が再生されたのは1976年のことだった。 バウハウスのオリジナルの素材には、当時実験的に作られたものが多数あり、この部屋に使われて居たガラスも、現在のガラスよりもよく光り、反射するクリスタルガラスだった。そのため、外から見た時のバウハウスの印象は、現在よりもさらに強烈なものだった。 残念ながら、今はもうオリジナルと同じ素材は手に入らない。 1976年に、バウハウスに関係するものの収集が始まった。現在ではそのコレクションは、45000点に上り、9月にオープンする博物館に展示される予定だ。オリジナルの家具は全て博物館に展示される予定なので、校舎内に置かれている家具のほとんどはレプリカだ。 この部屋は、夏は暑く冬は寒く、真夏は男性達は上半身裸で作業をしていた。 この窓枠のメタルの色は、黒だったと長く信じられてきたが、最近の研究により、オリジナルは薄いグレーだったと考えられている。 モダン建築には、1920年代の白黒写真の影響で、コントラストの強いモノトーンのイメージが強いが、実際のデッサウ校舎には、様々な色があふれていた。   [グロピウスの執務室] グロピウスはこの部屋で、学生やマイスターたち、バウハウスの製品製造を請け負う近隣の工場や会社の代表者などと会った。 床は焦げ茶色のトリオリンで作られている。 当時、すでにリノリウムの床は発明されていたが、第一次世界大戦後、リノリウムには高い税金がかけられ、非常に高価だったため、代用品のトリオリンが使用された。トリオリンは、耐火性が低いため現在では使用されない。 レモンイエローのアームチェアー(1920)や桜の木でできたデスクは、グロピウス自身がデザインし、ワイマールからデッサウに持ってきたもののレプリカ。 一般的には、立場が高い人がすわり心地の良いアームチェアーにすわり、学生などの立場が低い人がシンプルな椅子に座るものだが、この部屋では高い立場のゲストも、低いゲストも、常にアームチェアーをすすめられた。アームチェアーの肘掛は、新聞を広げて読むときに腕が疲れないよう、最適な高さにデザインされている。 グロピウスは、マルセル・ブロイヤーの最新作に座ることを好んだ。   [エントランスエリア] 当時の建物には、立派な正面玄関があるものだったが、このデッサウ校舎には“正面”がない。また、玄関に入ったら壁があるものだったが、ここではオープンな空間と大きな窓があり、ガラス越しに素晴らしいパノラマが楽しめる。 天井ランプのデザイナーは、ロシア人のマックス・カイエスキー(Max Krajewski) 。彼は従来のナシの形のランプではなく、細長いランプ円筒型のランプをデザインした。   [講堂] 講堂の椅子も、マルセル・ブロイヤーが手がけた。 当時感染症がはやっていたため、清潔を保ちやすいように、シンプルなフレーム&洗える布、というデザインにした。(ペニシリンが発明されたのは1929年) バウハウスデザインの講堂は世界中でここにしかない。 バウハウスでは、ダンスや音楽なども取り入れられ、この講堂で披露された。 講堂の隣には食堂があり、当時は学食として使用されていた。今でも宿泊客、観光客、学生、スタッフの食堂として使われている。     バウハウスという名前はバウヒュッテBauhütteという言葉から来ている。 バウヒュッテとは、中世ドイツの職人協同組合を指す言葉で、マイスターを頭とする徒弟制度が特徴。デッサウ・バウハウスでもその思想が取り入れられて居たため、教師はマイスターと呼ばれた。     マリアンネ・ブラント(1893-1983) 1924-1926年学生としてバウハウスに在籍。クレーやカンディンスキーの教えを受ける。金属工房唯一の女性。1933年までバウハウス関連の仕事につく。彼女がデザインした卓上ランプは、バウハウスデザインの中で、現代までに最も広く普及しているデザインのひとつ。   Hans Przyrembel (1900-1945 ) ドイツ・ハレ出身 鍵屋の見習い終了後、第一次世界大戦従軍。 1924-1928年 バウハウスに在籍。マリアンネ・ブラントとともに様々なデザインを生み出し、1932年にはマイスターになったが、第二次世界大戦に従軍。1945年に亡くなった。   マックス・カイエスキー(Max Krajewski) また、彼は一時期プレラーハウス(寮)で暮らし、1930年までバウハウス関連の仕事をして居たが、1931年にソ連に移住した。     [入場&ガイドツアー詳細] シングルチケット バウハウス・デッサウ校舎、マイスターハウス、コンシュームビルディングのうちの一軒のみ入場可能。当日のみ有効。 8.50ユーロ/5.50ユーロ(割引)18歳以下無料 オールインワンチケット 全ての建物にそれぞれ一回に限り入場可能。3日間有効。 15ユーロ/11ユーロ(割引)18歳以下無料 (デッサウ校舎ではチェックがなかったので複数回入場可能だった) ガイドツアー:7ユーロ・割引料金なし・18歳以下無料 オーディオガイド(日本語あり):5ユーロ 写真撮影許可:5ユーロ バウハウス・デッサウ校舎 10:00~17:00 マイスターズハウス 10:00~17:00 12/24~26、12/31~1/1を除く毎日 英語ツアー:金曜日のみ 12:00 バウハウス・デッサウ校舎 13:30 マイスターズハウス […]

BAUHAUS100周年 1 バウハウス・デッサウ校舎の学生寮に泊まる

観光客として、ある建物を見に行く。 自分で見て回るにしても、ガイドツアーに参加するにしても、歩いて、立ち止まって解説を聞いて、写真を撮って、ちょっと眺めて納得して、また歩き始める。 5分も立ち止まれば長い方だ。 昔から行って見たかったあの場所に行った。 という思い出と、写真が残る。 もちろん、それは素敵なことだけれど、建物というのは、本来、ある一定の時間滞在するための入れ物だ。 学生ならその建物に毎日通って学んだり人と触れ合ったりするための場所。 誰かの家であれば、そこには毎日の営みや子供達の成長、喜怒哀楽があったはず。 解説には、その建物が何年にどんなスタイルで建てられ、誰が暮らしていたのか書いてあるけれど、5分の滞在時間では、それを読むことはできても、暮らしを実感することは難しい。 デッサウのバウハウス校舎に行ってみたいと思い、検索していたら昔の寮に泊まった人の記事を見つけた。 私が暮らすベルリンからデッサウまでは電車で1時間20分ほど。日帰りで行くつもりだったけれど、バウハウスの寮で暮らすという経験をしたくて泊まることにした。 バウハウス学生寮(Prellerhaus)を予約する メールまたはフォームで問い合わせるようにとHPに書かれていたので、希望日を書いたメールを送ると、翌日「残念ながら一杯ですが、近所のホテルを推薦します」という返信がきた。 「今回の宿泊の目的は、学生寮に泊まることなので、7月後半の空き状況を教えてください」 「7月後半のダブルルームはほぼ満室。7月*日のみ空きがあります」 「ありがとうございます。では、その日に伺いますので予約確定してください」 というやり取りの後、予約確認書PDFが送られてきた。 支払いは現地、クレジットカードの確認などはなかった。   夏休み中なので9歳の息子と12歳の娘、私の3人だ。 「どんなところに行くの?泊まるの?」 「100年近く前に建てられた学校の寮」 「・・・・そこってきれいなの?」 「行ったことがないから分からないけれど、きっと素敵なところよ。昔のデザイナーや建築家の卵、学生が暮らしていたところなんだって。でもシャワーやトイレ、テレビはないらしいから、UNOでも持って行こう」 「トイレがお部屋にないの?合宿で行ったみたいなホステルなの?」 「ちょっと違うけれど、とりあえず行ってみよう。行って見たらわかるから」   バウハウスって何? 「20世紀初頭に始まった芸術と技術の融合、モダン建築の・・・」 と言葉で説明することも、いろいろ読むこともできるけれど、芸術と技術の融合って何?と考え始めるととてもむずかしい。 でも、実際に行って学生寮の部屋に落ち着いて、窓を開けたり閉めたりして、窓開閉のシステムや窓枠の重さを体で経験すると、少しだけわかる。 ベルリンからデッサウまで電車に乗り、駅から学校まで歩くと、本当に何もない田舎に、バウハウスが現れた時の周りの人々の驚きや感動が少しだけわかる。 ベッドにゴロンと転がって、壁一面の窓の中で雲が流れて行く様子、刻々と変わる空の色を見たり、風を感じたりすると、もう少しだけわかる。 カーテンを開け放しにして東から昇る朝日で目覚めるという、昔の学生達と同じ経験をしてみると、さらに少しだけわかる。 当時の学生が暮らした寮に泊まり、バウハウス的なものだけに囲まれて、一日だけ彼らと同じような暮らしを経験する。 こんな贅沢な経験で得られること、感じられることは、文章で読むことの何倍も大きい。   プレラーハウスと呼ばれるこの寮には28部屋あり、ドイツで最初の学生寮だった。1ヶ月の家賃は20ライヒスマルク。はっきりとは分からないけれど、現代の価値にして1万円くらいだろうか。 学生と若手の先生たちが暮らしていた。最盛期には、200人の学生がいたので、この寮で暮らせるのは優秀な選ばれた学生のみ。 当時の部屋にはバウハウスデザインのベッド、クローゼット、バルコニーがあり、各フロアには共同キッチン、シャワー、トイレがあり、地下には学食とジムがあった。 寮が完成した1926年という時代を考えてみよう。日本の昭和元年。1929年の世界恐慌の直前。ココ・シャネルの時代、華麗なるギャツビーの時代だ。 私たちが泊まった部屋は、白と窓枠の黒のモノトーンのお部屋だったけれど、実際に寮として使われていた頃は、壁に絵が描かれていたり、実験的な家具が置かれていたり、それぞれ個性的な部屋だったのではないか・・・と想像する。(モダン建築のイメージがモノトーンになったのは、昔はカラー写真が珍しく、ましてや実際に訪問することも珍しかったからという話をどこかで読んだ)     翌日、あっという間にベルリンに到着。 いつもは何とも思わない駅からの道がごちゃごちゃして見える。 「すごく楽しかった。また行きたい。今度は一週間くらい居たい」と娘。 「あら、一週間も居たいの?」 「だってなんか気持ちよかったじゃない?スッキリきれいで。おうち帰ったら模様替えしようよ」 「うん。僕も好きだからまた行こう。蜂が多かったけど」と息子。 「そうねえ、もうすぐ美術館オープンするみたいだから」 「でも、人がいっぱいだと嫌だから、美術館がオープンする前に行きたいなあ」と娘。 なんか気持ちよかった。 よくわかる。 写真でみると、単なる白い箱なのに、その空間に滞在してみると、自然の中にいるような心地よさを感じる。 夕方、ツアー客などが居なくなり、静かになった学校を歩いてみた。 少し落ちてきた太陽が白い壁に色をつけ、ガラスに模様をつける。 シンプルなのだけれど、自然の暖かさがそのまま伝わってくるのが面白い。 この建物を作ったヴァルター・グロピウスは、空が大好きだったのだろうなあ。光の入り方とか、影の入り方とか、完璧に計算され尽くされている、自然。       宿泊情報 シングルルーム16室 40~45ユーロ ダブルルーム6室 60~65ユーロ リコンストラクトルーム(シングル)50~55ユーロ エキストラベッド10ユーロ。 朝食別。 チェックイン&アウト: チェックイン14:00・チェックアウト10:30 チェックインは、インフォメーションデスクで。 チェックアウト(鍵の返却)は、ビストロで。 設備: リノベーションされているけれど、基本は昔の学生寮。 各階に共同キッチン、トイレ、シャワーあり。(トイレ、シャワーは最近改築されたらしくきれい) エレベーターなし。 お部屋には、タオル、ベッドリネン、毛布、洗面台、デスク、ベッド、バルコニーあり。他に必要なものがある場合は持参すること。 地下にロッカールームがあるので、チェックイン前後の荷物を預けられる。(1ユーロ。1ユーロコインのみ) ミニバーはない。各フロア共同キッチンに小さな冷蔵庫や電気ケトルがあるので、冷たい飲み物やお茶を持参しよう。学校内、近くには選択肢があまりないので、ベルリンまたはデッサウの駅で買っていくことをオススメする。 レストラン&カフェ: カフェ・ビストロ 月〜土曜 8時から24時 朝は朝食メニューあり。昼は簡単なサンドイッチなどと飲み物のみ。 夜はパスタ、サラダなどあり。カード使用は20ユーロ以上から。 日曜:8時から18時 食堂(昔の学食) 毎日:11時から15時 ホテルではないので、サービス業的な雰囲気はない。 「世界遺産に泊まらせてもらう」と言う気持ちで多少の不便は我慢。 何か問題が起こった時は、営業時間内(10〜17時)にインフォメーションデスクで相談する。 ベルリンからのアクセス: 最寄り駅:デッサウ中央駅(Dessau central station)から徒歩8分 ベルリン中央駅からはレギオナルエクスプレス(快速電車)RE7で一本。 乗車時間は1時間38分。一時間、二時間に一本しか走っていないので事前に時間確認のこと。 チケットはオンラインでも、駅の券売機、発券センターでも購入できる。 片道27ユーロ。

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