BAUHAUS100周年 2 バウハウス・デッサウ校舎 ガイドツアー&実用情報

デッサウ校舎のガイドツアーに参加してきた。 英語ガイドツアーは金曜日のみなので、土日にはドイツ語バージョンしかない。 チケットを購入する際に、「デッサウ校舎」と「マイスターハウス」のガイドツアーに参加したいというと、デッサウ校舎はガイドツアーに参加しないと入れない部屋がたくさんあるけれど、マイスターハウスは「個人でもツアーでもアクセスできる部屋は同じなので、(ドイツ語があまりうまくない)あなたには不要です」 と言われたのでデッサウ校舎のツアーだけ参加した。 ガイドツアー所要時間は1時間/7ユーロ。 講堂やグロピウスのオフィス、寮は、個人では入れないので、ドイツ語が全くわからなくてもツアーに参加する価値はあると思う。 ただし、ツアー参加者は20人くらい居て、みんなでぞろぞろ移動するのでゆっくり見ることは難しい。ツアーで一通り歩いて、後から気になったところはもう一度見て回っても良いかもしれない。   時代背景 1902年 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが「工芸ゼミナール」を設立 1914年 第一次世界大戦開始 1915年 グロピウスが工芸ゼミナールの校長になる 1918年 第一次世界大戦終結 1919年 国立ワイマール・バウハウス設立 1921年 パウル・クレーが教授として参加 1922年 ワシリー・カンディンスキーが教授として参加 1923年 デッサウに航空機メーカーのユンカース発動機工場有限会社が設立 1925年 デッサウ市立バウハウス設立 1928年 ハンネス・マイヤーが校長になる 1929年 世界恐慌 1930年 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長になる 1932年 バウハウス、ベルリンに移転 1933年 バウハウス解散 1933年 ヒトラー内閣 1939年 第二次世界大戦開始 1996年 ワイマールにバウハウス大学が設立された 1999年 デッサウに「バウハウスコレーグ」が設立された     デッサウでは当時、ユンカース航空機などの製造業が盛んで、市としてバウハウスの招致に積極的であり、公共、私企業を問わずバウハウスと密接な関係を結び新しい素材や製品が開発された。 第一次世界大戦で破壊された街の復興のために、新しいデザイン、建築が必要であるという信念があった。 芸術と技術を融合させ、大量生産が可能な仕組みを作り、一般市民にシンプルで美しいデザインの住宅や家具、道具を供給する。赤、青、黄色の三原色と三角、丸、四角というシンプルな形がバウハウスの基本となり、1933年に閉校するまでの14年間で、モダン建築、デザイン、芸術、絵画などに大きな影響を残した。 第二次世界大戦前後に多くのバウハウス関係者はアメリカに亡命し、様々な形でバウハウスの活動を引き継いだ。   [Work shop ワークショップ] ガラスのカーテンウォールが素晴らしいワークショップ。 グロピウスは「透明である・オープンであること」にこだわって、このガラスのカーテンウォールをデザインした。 天井のライトは、1926年にマリアンネ・ブラントとHans Przyrembelがデザインしたもの。バウハウスで見かけるデザイン全てに思うことだけれど、100年近く前にこのスポットライト型ランプがデザインされて居たことに驚く。当時、車を持っていたのはグロピウスだけで、バウハウス校舎の周りには馬車が走っていた。 第二次世界大戦中、1945年に近くに爆弾が落ち、ガラス・カーテンウォールは破壊された。戦後しばらくの間は、窓はレンガで覆われ、爆撃された近所の病院の代わりになっていたので、バウハウスで生まれた人もいる。   1963年に再建が始まり、ガラス窓が再生されたのは1976年のことだった。 バウハウスのオリジナルの素材には、当時実験的に作られたものが多数あり、この部屋に使われて居たガラスも、現在のガラスよりもよく光り、反射するクリスタルガラスだった。そのため、外から見た時のバウハウスの印象は、現在よりもさらに強烈なものだった。 残念ながら、今はもうオリジナルと同じ素材は手に入らない。 1976年に、バウハウスに関係するものの収集が始まった。現在ではそのコレクションは、45000点に上り、9月にオープンする博物館に展示される予定だ。オリジナルの家具は全て博物館に展示される予定なので、校舎内に置かれている家具のほとんどはレプリカだ。 この部屋は、夏は暑く冬は寒く、真夏は男性達は上半身裸で作業をしていた。 この窓枠のメタルの色は、黒だったと長く信じられてきたが、最近の研究により、オリジナルは薄いグレーだったと考えられている。 モダン建築には、1920年代の白黒写真の影響で、コントラストの強いモノトーンのイメージが強いが、実際のデッサウ校舎には、様々な色があふれていた。   [グロピウスの執務室] グロピウスはこの部屋で、学生やマイスターたち、バウハウスの製品製造を請け負う近隣の工場や会社の代表者などと会った。 床は焦げ茶色のトリオリンで作られている。 当時、すでにリノリウムの床は発明されていたが、第一次世界大戦後、リノリウムには高い税金がかけられ、非常に高価だったため、代用品のトリオリンが使用された。トリオリンは、耐火性が低いため現在では使用されない。 レモンイエローのアームチェアー(1920)や桜の木でできたデスクは、グロピウス自身がデザインし、ワイマールからデッサウに持ってきたもののレプリカ。 一般的には、立場が高い人がすわり心地の良いアームチェアーにすわり、学生などの立場が低い人がシンプルな椅子に座るものだが、この部屋では高い立場のゲストも、低いゲストも、常にアームチェアーをすすめられた。アームチェアーの肘掛は、新聞を広げて読むときに腕が疲れないよう、最適な高さにデザインされている。 グロピウスは、マルセル・ブロイヤーの最新作に座ることを好んだ。   [エントランスエリア] 当時の建物には、立派な正面玄関があるものだったが、このデッサウ校舎には“正面”がない。また、玄関に入ったら壁があるものだったが、ここではオープンな空間と大きな窓があり、ガラス越しに素晴らしいパノラマが楽しめる。 天井ランプのデザイナーは、ロシア人のマックス・カイエスキー(Max Krajewski) 。彼は従来のナシの形のランプではなく、細長いランプ円筒型のランプをデザインした。   [講堂] 講堂の椅子も、マルセル・ブロイヤーが手がけた。 当時感染症がはやっていたため、清潔を保ちやすいように、シンプルなフレーム&洗える布、というデザインにした。(ペニシリンが発明されたのは1929年) バウハウスデザインの講堂は世界中でここにしかない。 バウハウスでは、ダンスや音楽なども取り入れられ、この講堂で披露された。 講堂の隣には食堂があり、当時は学食として使用されていた。今でも宿泊客、観光客、学生、スタッフの食堂として使われている。     バウハウスという名前はバウヒュッテBauhütteという言葉から来ている。 バウヒュッテとは、中世ドイツの職人協同組合を指す言葉で、マイスターを頭とする徒弟制度が特徴。デッサウ・バウハウスでもその思想が取り入れられて居たため、教師はマイスターと呼ばれた。     マリアンネ・ブラント(1893-1983) 1924-1926年学生としてバウハウスに在籍。クレーやカンディンスキーの教えを受ける。金属工房唯一の女性。1933年までバウハウス関連の仕事につく。彼女がデザインした卓上ランプは、バウハウスデザインの中で、現代までに最も広く普及しているデザインのひとつ。   Hans Przyrembel (1900-1945 ) ドイツ・ハレ出身 鍵屋の見習い終了後、第一次世界大戦従軍。 1924-1928年 バウハウスに在籍。マリアンネ・ブラントとともに様々なデザインを生み出し、1932年にはマイスターになったが、第二次世界大戦に従軍。1945年に亡くなった。   マックス・カイエスキー(Max Krajewski) また、彼は一時期プレラーハウス(寮)で暮らし、1930年までバウハウス関連の仕事をして居たが、1931年にソ連に移住した。     [入場&ガイドツアー詳細] シングルチケット バウハウス・デッサウ校舎、マイスターハウス、コンシュームビルディングのうちの一軒のみ入場可能。当日のみ有効。 8.50ユーロ/5.50ユーロ(割引)18歳以下無料 オールインワンチケット 全ての建物にそれぞれ一回に限り入場可能。3日間有効。 15ユーロ/11ユーロ(割引)18歳以下無料 (デッサウ校舎ではチェックがなかったので複数回入場可能だった) ガイドツアー:7ユーロ・割引料金なし・18歳以下無料 オーディオガイド(日本語あり):5ユーロ 写真撮影許可:5ユーロ バウハウス・デッサウ校舎 10:00~17:00 マイスターズハウス 10:00~17:00 12/24~26、12/31~1/1を除く毎日 英語ツアー:金曜日のみ 12:00 バウハウス・デッサウ校舎 13:30 マイスターズハウス […]

BAUHAUS100周年 1 バウハウス・デッサウ校舎の学生寮に泊まる

観光客として、ある建物を見に行く。 自分で見て回るにしても、ガイドツアーに参加するにしても、歩いて、立ち止まって解説を聞いて、写真を撮って、ちょっと眺めて納得して、また歩き始める。 5分も立ち止まれば長い方だ。 昔から行って見たかったあの場所に行った。 という思い出と、写真が残る。 もちろん、それは素敵なことだけれど、建物というのは、本来、ある一定の時間滞在するための入れ物だ。 学生ならその建物に毎日通って学んだり人と触れ合ったりするための場所。 誰かの家であれば、そこには毎日の営みや子供達の成長、喜怒哀楽があったはず。 解説には、その建物が何年にどんなスタイルで建てられ、誰が暮らしていたのか書いてあるけれど、5分の滞在時間では、それを読むことはできても、暮らしを実感することは難しい。 デッサウのバウハウス校舎に行ってみたいと思い、検索していたら昔の寮に泊まった人の記事を見つけた。 私が暮らすベルリンからデッサウまでは電車で1時間20分ほど。日帰りで行くつもりだったけれど、バウハウスの寮で暮らすという経験をしたくて泊まることにした。 バウハウス学生寮(Prellerhaus)を予約する メールまたはフォームで問い合わせるようにとHPに書かれていたので、希望日を書いたメールを送ると、翌日「残念ながら一杯ですが、近所のホテルを推薦します」という返信がきた。 「今回の宿泊の目的は、学生寮に泊まることなので、7月後半の空き状況を教えてください」 「7月後半のダブルルームはほぼ満室。7月*日のみ空きがあります」 「ありがとうございます。では、その日に伺いますので予約確定してください」 というやり取りの後、予約確認書PDFが送られてきた。 支払いは現地、クレジットカードの確認などはなかった。   夏休み中なので9歳の息子と12歳の娘、私の3人だ。 「どんなところに行くの?泊まるの?」 「100年近く前に建てられた学校の寮」 「・・・・そこってきれいなの?」 「行ったことがないから分からないけれど、きっと素敵なところよ。昔のデザイナーや建築家の卵、学生が暮らしていたところなんだって。でもシャワーやトイレ、テレビはないらしいから、UNOでも持って行こう」 「トイレがお部屋にないの?合宿で行ったみたいなホステルなの?」 「ちょっと違うけれど、とりあえず行ってみよう。行って見たらわかるから」   バウハウスって何? 「20世紀初頭に始まった芸術と技術の融合、モダン建築の・・・」 と言葉で説明することも、いろいろ読むこともできるけれど、芸術と技術の融合って何?と考え始めるととてもむずかしい。 でも、実際に行って学生寮の部屋に落ち着いて、窓を開けたり閉めたりして、窓開閉のシステムや窓枠の重さを体で経験すると、少しだけわかる。 ベルリンからデッサウまで電車に乗り、駅から学校まで歩くと、本当に何もない田舎に、バウハウスが現れた時の周りの人々の驚きや感動が少しだけわかる。 ベッドにゴロンと転がって、壁一面の窓の中で雲が流れて行く様子、刻々と変わる空の色を見たり、風を感じたりすると、もう少しだけわかる。 カーテンを開け放しにして東から昇る朝日で目覚めるという、昔の学生達と同じ経験をしてみると、さらに少しだけわかる。 当時の学生が暮らした寮に泊まり、バウハウス的なものだけに囲まれて、一日だけ彼らと同じような暮らしを経験する。 こんな贅沢な経験で得られること、感じられることは、文章で読むことの何倍も大きい。   プレラーハウスと呼ばれるこの寮には28部屋あり、ドイツで最初の学生寮だった。1ヶ月の家賃は20ライヒスマルク。はっきりとは分からないけれど、現代の価値にして1万円くらいだろうか。 学生と若手の先生たちが暮らしていた。最盛期には、200人の学生がいたので、この寮で暮らせるのは優秀な選ばれた学生のみ。 当時の部屋にはバウハウスデザインのベッド、クローゼット、バルコニーがあり、各フロアには共同キッチン、シャワー、トイレがあり、地下には学食とジムがあった。 寮が完成した1926年という時代を考えてみよう。日本の昭和元年。1929年の世界恐慌の直前。ココ・シャネルの時代、華麗なるギャツビーの時代だ。 私たちが泊まった部屋は、白と窓枠の黒のモノトーンのお部屋だったけれど、実際に寮として使われていた頃は、壁に絵が描かれていたり、実験的な家具が置かれていたり、それぞれ個性的な部屋だったのではないか・・・と想像する。(モダン建築のイメージがモノトーンになったのは、昔はカラー写真が珍しく、ましてや実際に訪問することも珍しかったからという話をどこかで読んだ)     翌日、あっという間にベルリンに到着。 いつもは何とも思わない駅からの道がごちゃごちゃして見える。 「すごく楽しかった。また行きたい。今度は一週間くらい居たい」と娘。 「あら、一週間も居たいの?」 「だってなんか気持ちよかったじゃない?スッキリきれいで。おうち帰ったら模様替えしようよ」 「うん。僕も好きだからまた行こう。蜂が多かったけど」と息子。 「そうねえ、もうすぐ美術館オープンするみたいだから」 「でも、人がいっぱいだと嫌だから、美術館がオープンする前に行きたいなあ」と娘。 なんか気持ちよかった。 よくわかる。 写真でみると、単なる白い箱なのに、その空間に滞在してみると、自然の中にいるような心地よさを感じる。 夕方、ツアー客などが居なくなり、静かになった学校を歩いてみた。 少し落ちてきた太陽が白い壁に色をつけ、ガラスに模様をつける。 シンプルなのだけれど、自然の暖かさがそのまま伝わってくるのが面白い。 この建物を作ったヴァルター・グロピウスは、空が大好きだったのだろうなあ。光の入り方とか、影の入り方とか、完璧に計算され尽くされている、自然。       宿泊情報 シングルルーム16室 40~45ユーロ ダブルルーム6室 60~65ユーロ リコンストラクトルーム(シングル)50~55ユーロ エキストラベッド10ユーロ。 朝食別。 チェックイン&アウト: チェックイン14:00・チェックアウト10:30 チェックインは、インフォメーションデスクで。 チェックアウト(鍵の返却)は、ビストロで。 設備: リノベーションされているけれど、基本は昔の学生寮。 各階に共同キッチン、トイレ、シャワーあり。(トイレ、シャワーは最近改築されたらしくきれい) エレベーターなし。 お部屋には、タオル、ベッドリネン、毛布、洗面台、デスク、ベッド、バルコニーあり。他に必要なものがある場合は持参すること。 地下にロッカールームがあるので、チェックイン前後の荷物を預けられる。(1ユーロ。1ユーロコインのみ) ミニバーはない。各フロア共同キッチンに小さな冷蔵庫や電気ケトルがあるので、冷たい飲み物やお茶を持参しよう。学校内、近くには選択肢があまりないので、ベルリンまたはデッサウの駅で買っていくことをオススメする。 レストラン&カフェ: カフェ・ビストロ 月〜土曜 8時から24時 朝は朝食メニューあり。昼は簡単なサンドイッチなどと飲み物のみ。 夜はパスタ、サラダなどあり。カード使用は20ユーロ以上から。 日曜:8時から18時 食堂(昔の学食) 毎日:11時から15時 ホテルではないので、サービス業的な雰囲気はない。 「世界遺産に泊まらせてもらう」と言う気持ちで多少の不便は我慢。 何か問題が起こった時は、営業時間内(10〜17時)にインフォメーションデスクで相談する。 ベルリンからのアクセス: 最寄り駅:デッサウ中央駅(Dessau central station)から徒歩8分 ベルリン中央駅からはレギオナルエクスプレス(快速電車)RE7で一本。 乗車時間は1時間38分。一時間、二時間に一本しか走っていないので事前に時間確認のこと。 チケットはオンラインでも、駅の券売機、発券センターでも購入できる。 片道27ユーロ。

公共フェリー。ベルリンの夏

本日も最高気温は36度。 ヨーロッパの個人宅のエアコン普及率は5%だか6%だかとニュースになっていますが、もちろん我が家にもありません。 ベルリンの緯度は52度。北海道のさらに北にあるため、冬の寒さは問題になっても、夏の暑さは問題にならないはずの街だったのです。 でも、越してきてから三年目の夏ですが、毎夏“猛暑”と大騒ぎされているような・・・一昨年の夏は、猛暑日にうっかりガラス張りのイタリアンレストランに入ってしまい、ピザ釜からの熱とガラス張りの温室効果でグダグダになりながらピザを食べたし、去年は酷暑の東京から戻ってきたら、ベルリンはベルリンで暑く、扇風機が売り切れて手に入らないという悲惨な思い出があります。 今日もパソコンが熱を持って仕事にならないので、退屈している息子を連れてヴァンゼーへ。ヴァンゼーは、西ベルリンにある湖の名前です。 ヴァンゼーには湖水浴場もあるのですが、前に泳いだことのある娘によると、あまり綺麗ではないということなのでパス。 乗り物好きの息子と一緒にフェリーに乗ってきました。 ベルリンには、公共のフェリー路線が6本あり、今日利用したのはその一つ。 S Wannsee からAlt-Kladowを20分で結びます。 朝6時から夜8時まで、一時間に一本、毎時00分に出発します。 チケットは、ベルリンAB期間チケットが利用でき、ウェルカムカード、一日券も使えます。 乗船時のチェックはありませんが、乗船中に確認に回ってくるので、すぐに出せる様にしておきましょう。 湖面にはヨットやボートが浮かんでいました。 ベルリンでは、「趣味はボート、趣味はヨット」という人が結構いるのですが、私が聞いたことがあるのは全て男性。女性でボートを持っていますという人にはまだ会ったことがありません。 今日見かけたヨット&ボートも全員男性が操縦していました。 ヴァンゼーの岸にもたくさん停泊中でしたが、ヨット。 車と違って完全な趣味。 それも夏の間しか使えません。 もっと小さな湖で見かける、上質のゴムボートで良いんじゃ・・・? と思いますが、男のロマンなのでしょうか。 ちなみに、グリルボートというのを見かけました。 ベルリナーの友達によれば、名前そのまま。 ボートの上でバーベキュー&ビールを楽しむためのボートです。 6人くらい乗れるので、みんなで割り勘で楽しむのだとか。 ベルリン人はバーベキューが大好きなのですが、ほとんどの公園で禁止されており、どこで楽しむのかと思いきや、ボート・・・。 それは楽しそうです。 でも、操縦士がつくわけでもないので、みんなで楽しく酔っ払ってどこかに漂流していってしまいそうですが、海ではないので問題ないのでしょう・・・ そんなことを考えながら湖面を眺めて居たら、20分の船旅はあっという間に終わってしまいました。夏のベルリンには、遊覧船からカヌーまで、様々な乗り物がありますが、この公共フェリーもちょっとした船旅気分を味わえるのでオススメです。

ベルリン・天使の詩の女神、ヴィクトリアに会いに行こう

ベルリンの中心部にティア・ガルテンという名前の広大な公園がある。 その昔王侯貴族が狩を楽しんだという、210ヘクタールの広大な緑の中に、映画、ベルリン・天使の詩の、あの金色の女神の塔がある。 私は高いところが苦手なのだけれど、せっかくベルリンに暮らしているのだから、あの女神を近くで見てみたい。高いところといっても、たかが67メートル。300メートルのエッフェル塔にも登ったのだし、きっと大丈夫。と言い聞かせて行ってきた。 そもそも、戦勝記念塔のあの女神は誰? 女神の名前はヴィクトリア。古代ローマ神話に出てくる勝利の女神で、ギリシャ神話の勝利の女神ニケ(NIKE)と同じ。スポーツ用品のナイキの名前はニケから来ている。ブランデンブルグ門の上で戦車に乗っているのも、ヴィクトリアだ。 ヴィクトリアは、高さ8.3メートル、重さ35トンのブロンズ製。金メッキが施されている。 1864年、当時のプロイセン王国が、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 でデンマークに勝利したことを記念して、建設が始まり1873年に完成した。建設中に独墺戦争、独仏戦争が起こり、それらの戦争にも勝利したため、三つの戦勝を記念する塔となった。 元々は、国会議事堂前広場に建てられていたが、1930年代ナチスの“世界首都ゲルマニア計画”の一環で、現在の場所に移された。 第二次世界大戦後、フランスは「独仏戦争の勝利を記念する塔」の破壊を主張したが、アメリカとイギリスの反対により、そのまま残された。 戦争末期には、ドイツ兵が塔の中に立てこもって戦ったため、跡が多数残っている。 2008年 大統領選中のバラク・オバマが20万人を前にスピーチした場所としても知られている。 https://www.spiegel.de/video/video-33480.html   戦勝記念塔に登ってみたら 螺旋階段を登り始めるとすぐに一つ目の見晴台に出る。 ここは、おそらく2階か3階くらいの高さ。床に座ってくつろいでいる観光客もいて、気持ち良い空間。   塔の高さは69メートルで、二つ目の展望台は50メートルのところにある。 285段を登り続けると、螺旋階段はだんだん狭くなっていく。 当然のことながら、降りてくる人も同じ階段を使うから、本当にギリギリな感じ。狭すぎる。 とりあえず頑張って見晴台に出て、ヴィクトリアを間近で見たい。そう思って登り続ける。   展望台に出て見たら、展望台は思っていたよりもずっと狭かった。 その上、外側に向かって少し傾いている気がする。 そんなわけないと思うけれど、19世紀の建物だし、移転されているし、本当に傾いているのかも。 ヴィクトリアは・・・・と思って上を向いてみると、巨大すぎて一部しか見えない。 ベルリン・天使の詩で、主役のブルーノ・ガンツがヴィクトリアの顔の隣に座る有名なシーンがあるけれど、羽しか見えない。   そんなことを思ってキョロキョロしていたら、いきなりクラクラしてきた。 展望台からみるティア・ガルテンの眺めは素晴らしいけれど、もう限界。 頭クラクラ、足ガクガクで狭い螺旋階段を降りる。 iphoneによれば、18階分の階段を上ったらしい。 戦勝記念塔にチャレンジする人は、足腰をしっかり鍛えて行ってください。 アクセス:ベルリン動物園駅からアレクサンダープラッツを結ぶ便利な路線バス、100番のGroßer Stern (Berlin)駅下車。目の前。 お天気が良ければティア・ガルテンの中を歩いても気持ちいい。 ベルリン動物園駅及びブランデンブルグ門からそれぞれ約2キロ。徒歩約30分。公園内には、電動自転車や電動キックボードで移動している人も多い。 戦勝記念塔は、環状交差点の真ん中に立っている。記念塔につながるトンネルがいくつかあるので、絶対に地上を渡らないこと。 入場料:大人3ユーロ 学生・子供など2.5ユーロ(現金のみ) Straße des 17. Juni/ Großer Stern 10785 Berlin 入場可能時間: 4月〜10月 平日9:30〜18:30 土日祝日 9:30~19:00 11月〜3月 平日9:30〜17:30 土日祝日 9:30~17:30 12/24休業 ベルリン・天使の詩(1987年 西独/仏) 監督:ヴィム・ヴェンダース ブルーノ・ガンツ ソルヴェーグ・ドマルタン オットー・ザンダー クルト・ボイス ピーター・フォーク (ドイツ語版のみ購入・レンタル可能)

クリスマス前のベルリン

11月末。 今日から一週間、ベルリン行きです。 パリのテロが起こってから、爆弾予告でエールフランスやトルコ航空が緊急着陸したとか、嫌なニュースばかりだったので、ギリギリまで迷いましたがマラケシュもマラケシュだし、生地の買い付けや娘のレッスンもあるし、行くことにしました。 ただし、今回は6歳の息子には夫とお留守番してもらうことにしました。 大人一人で子供を二人連れた旅、9歳と6歳になり普段であれば余裕なのですが、万が一何かあった時に私一人で子供二人には対応できない、それに、夜のコンサートなどではシッターさんにお願いすることになり、ちょっと不安です。 さて、マラケシュの空港に到着。空は真っ青。気温は25度くらい?半袖にサンダル履きの観光客も多数。 これから旅立つベルリンはとにかく冬が厳しいと聞いています。 厳寒期には、マイナス10度、20度になることもあるとか。 出発前に調べた天気予報では、0度前後。雪マークが出ていて、娘は大喜び。 私は・・・・・

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