2001年から2016年まで、モロッコのマラケシュで暮らしていた。
シリアやアフガニスタンのニュースがテレビで流れると、目を背けるか、違う部屋に移動していた。
日本とは異なり、モロッコでは、残酷な映像が、それも子供の映像が頻繁に流れる。知りたくないわけではなかったけれど、それを真っ直ぐ見つめて、感じたり考えたりする勇気を持ち合わせていなかったし、モロッコ人と似た感じの人たちだ、うちの子供達と同じくらいの子だと思えば悲しみを感じたけれど、戦争の中に生きるということが全く実感できないのに、そういう映像を見て感想を言うのも嫌だった。
シリアもアフガニスタンも、遠い国の遠い人々の悲劇だった。
2016年にドイツのベルリンに引っ越しした。
2015年にシリアからの難民がすごい勢いで、ドイツを目指してきて、110万人の難民を受け入れたものの、初期の感動的な興奮状態が落ち着き、こんな大量の人々をどうするんだ?という雰囲気が出始めていた頃だ。
ドイツの公立小学校と私立のカトリック学校にはドイツ語を理解しない子供達のためのウェルカム・クラスができた。
うちの子供達も、教育委員会の指定でバスで20分ほどのところにあるカトリック小学校のウェルカム・クラスに入ることになり、シリアやレバノンから来た難民の子供達と席を並べることになった。
カトリックの学校にムスリムの子供達が通うことについて、問題はないのか?と思ったが、やはり月に一度のミサへの参加・不参加、クラスの入り口に掲げられた十字架などを巡って様々なトラブルがあったが、10人強の子供たちに先生が二人付き、それでも勉強が間に合わない子供には、ドイツ人の一般の母親のボランティアの先生がつくなど、手厚い教育で、ウェルカム・クラス出身の子供の半分が、ギムナジウムに進学した。ドイツ人の子供と同じ比率だ。もともとドイツ語がゼロの子供達。それもドイツに到着する前は、満足に学校に通えない期間があったような子供達の結果としては、かなりのものだろう。1.2の成績でギムナジウムに進学した女子もいた。
(1.0が最高。1.2はかなり優秀な方)
この学校以外の事情はわからないが、ここに限っていえば、外国人の子供達は、かなりフェアに、大切に扱われていた。
ラマダンで水も飲まないことを先生に心配され、ややこしい話になったり、子供同士の喧嘩に宗教がでてきたり、クラス中の子供達が、アラビア語の悪い言葉を覚えてしまったり…色々あったけれど、子供達に幸せになってほしいという大人(先生)の思いが強すぎて摩擦を起こすようなことはあったが、悪意や差別から問題が起こるということはなかった。
子供達の同級生やその親との付き合いを通じて、110万人という数字でひとくくりにされる人々、一人一人の顔が見えた気がした一年だったけれど、それでも「戦禍をくぐって来た」とか、「国に一生帰れないかもしれない」という状況について想像できるか、理解できるかと言われたらやっぱりわからない。
難民の子供達も、うちの子供たちも、ベルリンでは珍しくない外国ルーツの子供達として、普通に暮らして居る。進学の話で悩み、クラスの男子の噂話をし、クラス旅行に何をきて行こうか一日中チャットし合って居る。
彼らの母親も、今度のドイツ語のテストは絶対に受からないに違いないと焦ったり、下の子供の保育園の枠が取れるか心配したり。
普通に普通の暮らしをするために大きな努力をしてきて、今やっと普通の生活を手に入れた人たち。彼らが普通じゃなかった時の苦労は、やはり想像ができないけれど、普通でいられるって本当に、素敵でありがたいことだなあと思う。
この本を読んで、そんなことを考えた。
「千の輝く太陽」カレッド・ホセイニ
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