「千の輝く太陽」カレッド・ホセイニ

2001年から2016年まで、モロッコのマラケシュで暮らしていた。 シリアやアフガニスタンのニュースがテレビで流れると、目を背けるか、違う部屋に移動していた。 日本とは異なり、モロッコでは、残酷な映像が、それも子供の映像が頻繁に流れる。知りたくないわけではなかったけれど、それを真っ直ぐ見つめて、感じたり考えたりする勇気を持ち合わせていなかったし、モロッコ人と似た感じの人たちだ、うちの子供達と同じくらいの子だと思えば悲しみを感じたけれど、戦争の中に生きるということが全く実感できないのに、そういう映像を見て感想を言うのも嫌だった。 シリアもアフガニスタンも、遠い国の遠い人々の悲劇だった。   2016年にドイツのベルリンに引っ越しした。 2015年にシリアからの難民がすごい勢いで、ドイツを目指してきて、110万人の難民を受け入れたものの、初期の感動的な興奮状態が落ち着き、こんな大量の人々をどうするんだ?という雰囲気が出始めていた頃だ。   ドイツの公立小学校と私立のカトリック学校にはドイツ語を理解しない子供達のためのウェルカム・クラスができた。 うちの子供達も、教育委員会の指定でバスで20分ほどのところにあるカトリック小学校のウェルカム・クラスに入ることになり、シリアやレバノンから来た難民の子供達と席を並べることになった。 カトリックの学校にムスリムの子供達が通うことについて、問題はないのか?と思ったが、やはり月に一度のミサへの参加・不参加、クラスの入り口に掲げられた十字架などを巡って様々なトラブルがあったが、10人強の子供たちに先生が二人付き、それでも勉強が間に合わない子供には、ドイツ人の一般の母親のボランティアの先生がつくなど、手厚い教育で、ウェルカム・クラス出身の子供の半分が、ギムナジウムに進学した。ドイツ人の子供と同じ比率だ。もともとドイツ語がゼロの子供達。それもドイツに到着する前は、満足に学校に通えない期間があったような子供達の結果としては、かなりのものだろう。1.2の成績でギムナジウムに進学した女子もいた。 (1.0が最高。1.2はかなり優秀な方)   この学校以外の事情はわからないが、ここに限っていえば、外国人の子供達は、かなりフェアに、大切に扱われていた。 ラマダンで水も飲まないことを先生に心配され、ややこしい話になったり、子供同士の喧嘩に宗教がでてきたり、クラス中の子供達が、アラビア語の悪い言葉を覚えてしまったり…色々あったけれど、子供達に幸せになってほしいという大人(先生)の思いが強すぎて摩擦を起こすようなことはあったが、悪意や差別から問題が起こるということはなかった。   子供達の同級生やその親との付き合いを通じて、110万人という数字でひとくくりにされる人々、一人一人の顔が見えた気がした一年だったけれど、それでも「戦禍をくぐって来た」とか、「国に一生帰れないかもしれない」という状況について想像できるか、理解できるかと言われたらやっぱりわからない。   難民の子供達も、うちの子供たちも、ベルリンでは珍しくない外国ルーツの子供達として、普通に暮らして居る。進学の話で悩み、クラスの男子の噂話をし、クラス旅行に何をきて行こうか一日中チャットし合って居る。 彼らの母親も、今度のドイツ語のテストは絶対に受からないに違いないと焦ったり、下の子供の保育園の枠が取れるか心配したり。   普通に普通の暮らしをするために大きな努力をしてきて、今やっと普通の生活を手に入れた人たち。彼らが普通じゃなかった時の苦労は、やはり想像ができないけれど、普通でいられるって本当に、素敵でありがたいことだなあと思う。   この本を読んで、そんなことを考えた。 「千の輝く太陽」カレッド・ホセイニ https://www.amazon.co.jp/dp/B00O1VK02M/  

ベルリンフィルハーモニー第九/ブランデンブルグ門/ 野外コンサート

先週末のバレンボイムに続いて、また野外コンサートに行って来ました。 今回は、ブランデンブルグ門の前で開催された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の新指揮者キリル・ペトレンコお披露目&ベルリンの壁崩壊30周年記念無料コンサート。 ベートーヴェン交響曲第9番。 コンサートは、8月24日土曜日、20時から。3万人くらい来ると聞いて、早めの18時に到着すると、まだまだステージ近くに余裕がありました。 同行した友人たちと敷物を敷いて場所をとり、売店でピザや飲み物を購入し、開演を待ちます。もっとぎゅうぎゅう詰めで疲れる感じなのかなあと思って居ましたが、ここはベルリン。近くに座っている人たちと色々話したり、過去のコンサートの話をしたりしているうちにあっという間に開演時間になりました。 気がつくと、後ろの方までぎっしり人が入っています。 客層は、前の方はいつものクラシックコンサートで見かけそうな年齢層高めの人々と子連れ(結構居て、近くの子は第4楽章で寝て居ました・・・)後ろの方は、若いカップルやグループが多かったです。主催者発表では、35,000人集まったそうです。 始まる直前は周りの人たちはほとんど立って居て、立ちっぱなしで聞くのか・・・と思って居たのですが、「座れコール」がまずドイツ語で起こり、それでは伝わららないと思ったのか英語で起こり、かなりの人が座ってくれたので、私たちも座って楽しめました。 野外コンサートなので、PA使っているから生の繊細な音じゃないし、第二楽章のティンパニが悪目立ちして居たし(音楽家の友人は固定が悪かったのではないかと言って居た)変なところで拍手が始まったり、ソプラノが叫びすぎだったり、色々ありましたが、そんな細かいことはどうでもいい、素敵なお祭りでした。 歓喜の歌のあの音の暗示、メロディが最初にちらっと出てくるところ、そしてピアニッシモで始まるところ・・・35,000人の期待と喜びが空気に溶け合う感じ。 雰囲気は、あれです。ロックコンサートで、観客が待ち望んでいる曲のサビをちらっと歌って観客を焦らす、あの感じ。 サビが何度も何度も何度もしつこいくらい繰り返し出てきて、大盛り上がりに向かって行く感じ。ロックです。 ベートーヴェンって・・・・それともペトレンコの指揮がそういうスタイルだったのかな?すごく楽しそうに振って居ました。 4楽章の一瞬無音になるところで結構な数の拍手が起こってしまいええええ!と思いましたが、曲を知っているお客さんたちがしーっと合図し、静まったところで間髪入れず指揮が始まりました。 楽章ごとの拍手ももちろん起こってしまいましたが、野外の無料コンサートだし、指揮者も演奏者も織り込み済みではないでしょうか。 周りの観客たちも、ビール飲んでいい気分で一緒に歌っているし楽しくて最高でした。こんな俗っぽいコンサートはクラシックじゃない!とか言われそうなくらい、大衆受けする自由なコンサートでしたが、こんなコンサートを、ベルリン・フィルハーモニーが、無料で、ブランデンブルグ門の前で演奏してしまうところが、最高すぎるベルリンの夜でした。楽しかった・・・。 開場は3時間前。2時間前に行きましたが、前の方の良いところが空いて居ました。1時間前くらいに来る人が多かったです。 A3以上のバッグ、カメラ、パソコンなどの電子機器持ち込み禁止。 ピザなどの屋台が出て居ました。ドリンクの入れ物はデポジット制でしたが、帰りはものすごい人で返却はほぼ不可能。 トイレはかなりの数が用意されており、きれいでした。 敷物、クッション、飲み物、食べ物を持ち込んでいる人が多かったです。 こちらで公開されるようです。 デジタルコンサートホール    

群青色の空の下で聴く、ベートーヴェン交響曲第7番

ベルリンの西の端、シャルロッテンブルグの森の中に「ヴァルトビューネ」という野外円形劇場がある。 ヴァルトビューネは、1936年、ベルリン・オリンピックの会場として建設された。そう。あのナチスのオリンピックだ。 戦後は野外映画館やロックのコンサート会場として使われていたが、1965年のローリングストーンズのコンサートで、暴徒化した観客が会場や会場周辺を破壊すると言う事件があり、しばらく放置されていたが、現在では毎夏ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のシーズン最後のコンサートが、8月にはウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のコンサートが開催される他、夏の間の様々なイベントやコンサートの舞台となっている。 ベルリン3年目の夏。 ヴァルトビューネを初めて経験してきた。 8月18日 ダニエル・バレンボイム指揮 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団20周年記念、ベートーヴェン生誕250周年記念コンサート ベートーヴェン「エグモント」序曲op.84 ベートーヴェン「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲ニ長調op.61」 ヴァイオリン:マイケル・バレンボイム ベートーヴェン「交響曲第7番イ長調 op.92」 ヴァルトビューネの定員は22,000人。 2000人、3000人、ときには500人の劇場で素晴らしいコンサートを楽しめるのに、わざわざ22,000人の ”クラシック” コンサートに行かなくても、と思ったけれど、演目はベートーヴェン交響曲7番。 のだめカンタービレが大好きな子供達には、”第九“よりも聞き慣れたメロディーだ。 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団には興味があったし、行ってみることにした。 ヴァルトビューネとは、ドイツ語で「森の劇場」という意味だ。 野外劇場でクラシックを聴くこと自体が初めてなので、どんな経験になるか想像がつかなかったけれど、ベルリナーの友人たちに「今度ヴァルドビューネに行く」というと、 「僕がヴァルトビューネに行った時は、途中から小雨が降って来たんだ。雨の中聞いた***は、言葉に表せないほどすばらしかった」 「ビールとソーセージ片手に見るのよ。敷物忘れないで」 「ちょっと普通のコンサートホールとは違う特別な場所よね。ヴァルトビューネはねえ、後ろの方の席がいいのよ。一体感があって。自由席だから早めに行って」 こんなことを言う。 雨の中、ビールとソーセージ片手に聞くベートーヴェン? 想像ができないけれど、みんなヴァルトビューネのことを思い出してうっとりとした顔をしていた。どんな経験になるのだろう。   開演2時間前の17時過ぎに会場近くの駅に到着。 人波が会場目指して歩いているのでついて行く。 若い頃に行ったロックのコンサートを思い出すけれど、こちらはクラシックなので年齢層が2まわりくらい高め。 ピクニック用のブランケットのようなものを持っている人が多い。 セキュリティーチェックが2回あり、カバンの中を確認される。 会場の外には様々な屋台が出ていて、祭りの雰囲気だ。 19時ぴったりに開演。 エグモント序曲が始まる。 音がちょっと硬くて、細かい音が潰れちゃっている感じがする。 これだけの会場で生音だけと言うわけにはいかないから仕方ないけれど、ちょっと気になる。 音楽が始まっても、まだ歩いている人も、席を探している人もいて、ゆるい感じ。 私たちのお隣は、生ビール片手にピザとポテチ。 ベルリンの夏の夜は長いから、まだ空は明るい。 森の中のコンサートと聞いて、木々に囲まれたコンサート会場をイメージして来たけれど、ヴァルトビューネは、森が丸くぽっかり切り取られたその中にある。上を見上げると、大きな空。 ヴァイオリンの音色とともに、空の色が染まり、風が吹き、雲が流れ、鳥たちが帰って行く。 なんという気持ち良い時間だろう。 柔らかい風の流れに音楽が運ばれて行くのが感じられる。 赤ちゃん抱いたお母さんが歩きながら聞いたり、階段に座ったカップルが肩寄せ合って感動していたり。 一楽章ごとに拍手が起こるけれど、クラシック鑑賞のルールなど誰も気にしていない。 オーケストラの音色とともに、鳥がさえずり、たまに飛行機の音が聞こえてくる。 ヴァイオリン・コンチェルトが終わり、拍手。 今日のヴァイオリンは、指揮者のバレンボイムの息子のマイケル・バレンボイム。一箇所大きくミスをしたけれどアンコールのバッハは美しかった。演奏後父子で抱き合う姿に暖かい拍手が起こる。 後半はベートーヴェン交響曲7番。 これを楽しみにしていた子供達は1小節目の出だしの音を聞いた瞬間に身を乗り出して夢中になっていた。 第2楽章。気がついたら空が濃い群青色になり、オレンジ色の舞台が浮き上がる。観客の気持ちも舞台に引き込まれて、ビールを飲みながら聞いていたおじさんも、フレンチフライを食べていたおばさんも、じーっと集中している。 キレッキレのベートーヴェンで、前半の「美しいね」のヴァイオリンは持って行かれた。「暖かい」とか、「きれい」とかそういう生ぬるい感情を全部上書きしてしまうような激しい喜びに悲しみ。 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団は、パレスチナ系アメリカ人の文学批評家エドワード・サイードとユダヤ人のダニエル・バレンボイムがアラブ人とユダヤ人の音楽を通した理解と融和を願って結成したオーケストラだ。 会場であるヴァルトビューネは、ナチスが建設した野外ステージ。 そんな前提の上で、でもその前提を忘れさせてしまう音楽を奏でて、観客を一つにしてしまう。 またひとつ、ベルリンですごい経験をしてしまった。 子供達の感想: 「今までで一番 “気持ちいい” コンサートだった。いつもは動いちゃいけない、音を立てちゃいけないって言うことが気になって音楽に100%集中できないけれど、今日はとてもリラックスして聞けた。音楽と、空の光が一緒に動いている瞬間があって、とてもきれいだったよ」 本当に音楽に浸るって、そう言うことなのかもしれない。   West-Eastern Divan Orchestra https://www.west-eastern-divan.org/ [ヴァルトビューネ情報] €60/50/40/30/20 19歳まで半額 古い野外会場なので階段が非常に滑りやすく、座るところはベンチ式で背もたれがなく硬いので気になる場合は敷物を持参する。 足元に自信がない場合は、2時間前の開場と同時に入り、一番上の席を取ると良い。 トイレは移動式の野外トイレが設置されていたが、一人使用するごとに掃除されとても清潔だった。 500ml以下のノンアルコールドリンクのペットボトル持ち込み可能。 A4サイズ以上のバッグは禁止。 敷物、ブランケットは持ち込み可能。 ベビーカー、車椅子、傘、カメラ、三脚など持ち込み不可。 車椅子用特別席あり。事前に連絡・相談のこと。

子育てしながらスタートアップで働き、レストランをオープン〜Shani from Restaurant Beba

2019年3月にマーティン・グロピウス・バウ美術館の中にイスラエル料理レストラン、Bebaをオープンした、Shaniの話を聞いて来ました。 私の名前は Shaniです。 私の祖父母は、ロシア、フランス、モロッコ、トルコからアルゼンチンに来ました。当時、経済的な理由や、迫害が理由でアルゼンチンに移住するユダヤ人が多かったんです。そして、両親はアルゼンチンからイスラエルに移住して、私が生まれました。 子供時代はイスラエルで過ごして、ダンサーになるためにアムステルダムに行きました。アムステルダムでは、ダンサーとして活動する傍ら、料理ばかりしていました。友達や友達の友達のために料理をすることが大好きで、いつのまにか副業でケータリングの仕事もするようになって、いつも頭の中は料理のことでいっぱいでした!次は何を食べよう、何を料理しよう。 あの友達には何を食べさせよう。そろそろ***の季節だわ・・・と。 インファームの4年間 アムステルダムには8年いて、その間に結婚しました。 そろそろ新しいことをしたい、新しい環境に身を置きたいと思った時に、ベルリンで仕事のオファーがあったんです。夫も私も。 友達もいたし、ベルリンは大好きな街だし、じゃあ引越ししようということになりました。とてもワクワクしました。 ベルリンではスタートアップの小さな会社で働き始めて、翌年息子が生まれました。 産休中に室内水耕栽培のスタートアップ、インファーム(*1)の創業メンバーと知り合いました。意気投合して、出産したら一緒に働こうと誘われて、産後はインファームで働き始めました。 今ではずいぶん大きくなったけれど、当時は本当に始まったばかりで、私はプロジェクトマネージメントとマーケティングを担当ということになってはいましたが、なんでもやりました。インファームには4年居て、一緒に成長しました。 創業時は、3人の創業者の情熱があふれて居て、特別な雰囲気でした。 試行錯誤の毎日でした。何ができて何ができないのか。ベストな形は何か。実験して失敗して、また実験して・・・ 野菜やハーブを都市で育てたいという、本当にざっくりとしたアイデアから始まったインファームですが、食品業界に大きなインパクトを与えるためには、大企業と協力し合わないとダメだという結論になったんです。 それでまた、大企業と仕事が始まって・・・ 手作りの実験から始まったものが、4年でたくさんの人や会社を巻き込む規模に成長していく様子を見るのは最高にエキサイティングでした。 今息子は5歳で、私がインファームで働いていた頃は、まだ小さかったけれど、16時まで保育園に預けて、夕方は夫と交代で役割をシェアし合いました。 ものすごい勢いで成長するスタートアップで働きながら子育てすることは…簡単なことではないけれど、不可能なことでもありません。 当時のインファームは、本当に小規模で、家族のような雰囲気だったから、子連れで出勤することもできたし、みんなよく可愛がってくれました。 仕事を持つ母親であることは、子供にとっても、仕事にとっても良いことだと思います。限られた時間を計画的に、有効に使おうと思うし、本当に大切なことは何かよく考えるようになります。 そして、子供はたくさんの気づきやエネルギーを与えてくれます。母親として、子供がいるから頑張ろう、しっかり仕事をしようというモチベーションになります。 私自身が子供の頃、母親はフルタイムで働いて居ましたが、母は、帰宅すると私としっかり向き合ってくれたから寂しいとは感じませんでした。 だから私も、息子としっかり向き合う時間をできるだけ取るようにしています。 インファームでの仕事はとても充実していましたが、もっと直接人に食べさせる仕事をしたい、自分のレストランをオープンしたいという気持ちが強くなり、独立するタイミングだと思いました。そこで2018年の4月に退職を決め、レストランを開業できる場所を探して居た時に、シンシア・バルコミと知り合いました。彼女はベルリンでは有名なアメリカ人のカフェのオーナーです。知り合ってすぐに良いコネクションを感じて、顔を合わせて10分後に、「良い場所を知っている」と話してくれたのが、このマーティン・クロピウス・バウ美術館でレストランを開く可能性でした。 出会った2日後に、シンシアは美術館の館長のステファニーに私のことを話し、その1週間後、私はここにきて計画書をだし、2週間後シェフのアネットと一緒にテイスティング・ディナーを開催し・・・会議やペーパーワークや色々の後、ここでオープンすることになったんです。素晴らしい偶然が重なって。 レストランBeba Beba は私の祖母の名前で、全ては彼女から始まったんです。 彼女はとても料理が上手で、家族に美味しいものを食べさせることに常に情熱を注いでいました。とてもエレガントな人で、キッチンに立つ時もちゃんとおしゃれして、赤ワイン片手に料理をするような人でした。 私にとっての美しい女性のお手本です。 もちろん、料理の味付けも盛り付けも繊細で、大きな影響を受けました。 Bebaに食事に来た人には、おばあちゃんの家にきて食事をしたような気持ちになって欲しいんです。 気持ちのよい空気が漂っていて、心がこもっていた料理を食べて、笑顔のスタッフに迎えられる。料理も飲み物も全て自家製で… 良い香りを楽しんで、きちんと栄養をとって。 気持ちの良い空間で良いものを食べた後は、身も心も幸せになる。 食事した後、何時間もハッピーでいられる料理を出したいと思っています。 レストランの空間も、サービスも、料理も飲み物も、お客さんに「あなたのことを思っています」というメッセージなんです。おばあちゃんの料理みたいに。 レストランとお客さんが、そんなエモーショナルな結びつきを持てることが私の理想です。 だから、特に重要だと思っていることは、なんでも自分たちで手作りすることです。 例えばピクルスは全て自分たちで漬けているし、ソースも、ディップも全て手作りです。 そして、もちろんインファームの野菜です。 ここで育ったばかりの新鮮な野菜を出します。 お客さんは、美術館に来たついでにたまたま来た人もいるし、近所のビジネスマンもいます。 かなりメディアには取り上げられているので、私たちのことをどこかで読んだり聞いたりしたという人もいます。初めて来た人はみんな、インファームのスマート・ガラスケースについて質問して、驚いて、夢中になります。 目の前で育ったものを食べるというアイデアが珍しくて楽しいし、店の中で育っているものと、自分のお皿に乗っているもののつながりを感じることが素敵だと感じるからです。 インファームの野菜は、すでに完成された素材なので、その繊細な味わい、感触をできるだけ生かして壊さないように細心の注意を払っています。 野菜と野菜やハーブの組み合わせを工夫するだけで素晴らしい味になります。 持続可能な食について 私はビーガンでもベジタリアンでもありませんが、肉を作るための膨大な資源の無駄のことを考えて、あまり食べないようにしています。 できるだけ地産地消の食品を使うようにしています。 廃棄食品の問題については、シェフのアネットが素晴らしくて、私たちのキッチンからはほとんど無駄が出ません。 メニューの組み立て、何をどれだけ仕込むか、どんな風に保存するか。 無駄を出さないと決めて、きちんと考えれば、かなりの廃棄食品を減らすことができます。これもおばあちゃんの知恵ですよね?昔の人は何も無駄にしないように工夫しました。 それから、そのまま食べても美味しくない食材を、いかに美味しく食べるかということにも、工夫の余地はたくさんあります。 例えば私たちのビーフサンドイッチに使っているビーフは、硬くてあまり人気がない部位なのですが、スパイスと一緒に6時間かけてスロークッキングすることで、柔らかく美味しくなります。Bebaの人気メニューです。 これもおばあちゃんの知恵かもしれませんね。 インファームで働いた4年間で、持続可能な食についてはたくさんのことを学びました。もちろん、インファームの野菜やハーブ自体を使うことも、資源の節約につながっています。 スタッフからも毎日のように様々なアイデアが出て来ます。 これはこんな風に使えるんじゃないか、こうした方がいいんじゃないか・・・ 無駄遣いをしない、食べ物を大切にするということがみんなの共通目標になっています。 サンドイッチ 8ユーロから サラダ 15ユーロから メイン12 ユーロから イスラエルのタパス単品7ユーロ。三品で15ユーロ。 ホームメードケーキ4.5ユーロから エスプレッソ2.8ユーロなど Beba (Martin Gropius Bau ) https://www.facebook.com/Beba-at-Gropius-Bau-309194473058929/ 火曜定休 10:00~19:00 Niederkirchnerstr. 7 10963 Berlin カードOK   チェックポイントチャーリーの直ぐ近く。観光の中心なのでアクセスしやすいです。 (*1) インファーム:infarmは、今ベルリンで最も注目されているスタートアップ企業の一つ。自社クラウドコンピューターとつながった室内水耕栽培システムをスーパーマーケットなどに置き、新しい形の地産地消に取り組む。 https://infarm.com/

やってみたら簡単だから、世界中に廃棄物ゼロレストランが広がってほしい~ Frea / David

Frea は、2019年3月にオープンしたばかりのベルリン初の「ZERO WASTE 廃棄物ゼロ」 ビーガン・レストラン。オーナーのDavidにインタビューした。     1987年、壁が崩壊する2年前の東ベルリン生まれ。もちろん、東ベルリン時代のことは何も覚えていないが、親からは常に聞かされて育った。 「レストランをオープンするまでのストーリーを聞かせてください」 「4.5年前に、イベントのためのケータリングビジネスを始めた。 ケータリングを始めて1年後には250人のイベントのために料理するようになった。JOHNNY AND THE FOODというブログをはじめ、you tube に料理についての動画をアップし、ホリスティックヘルスコーチの資格も取った。 ケータリングの仕事が軌道に乗って、月に5000ユーロは稼げるようになったんだけれど、同じことの繰り返しで快適すぎて、新しいことにチャレンジしたくなった。快適な状況は嫌いなんだ。 難しいことに挑戦して、できた時の達成感が好きなんだ。 だから、新しいことにチャレンジすることにした」     「3年前から廃棄物ゼロ・Zero wasteについて考えていて、これはチャレンジになるって思った。すでに、プラスチックを使わない暮らしを実践していたから動画に撮ってyou tubeにアップしてみたら、反応がよかったからこれはいけると思った。 Zero wasteを実践するなら、自分ひとりでするんじゃなくて、周りの人たち、友達、家族、お客さん、環境にできるだけインパクトを与えたい。そう考えて、Zero waste、地産地消、季節のものだけを使ったレストランをオープンすることを思いついた。僕にとってはZero wasteとビーガンはセットだから、レストランをやることを決めた時に禁煙・禁酒してビーガンになった」   廃棄物ゼロのレストランをオープンするまで 「仕組みを知るために、ロンドンのZero wasteレストランで10日間働いた。帰って来て企画書を書いて、2017年の10月に動画を撮って、シェフに声をかけて、年末に今のガールフレンドと出会って2018年4月には彼女と一緒にレストランを始めることにして、物件を見つけた。工事に7ヶ月かかって、2019年3月にオープンした。 開業資金を集めるために、いろいろなところに企画書を持ち込んだけれど、当時は誰も興味を持たなかったから、GFと二人、有り金を全て注ぎ込んだ。 今なら、レストランがうまくいっているという実績ができたから、もっと簡単に資金調達できるだろうけれど」   「”Zero wasteのビーガン・レストラン”というと、可能性を狭めているように聞こえるかもしれないけれど、本当はその逆だ。縛りがあるからこそ、さらにクリエイティブになれる。Zero wasteのビーガンが、ビジネスとして成り立つということを世の中に示せたことは本当に良かったと思う。もっと客単価を高くしてもいいという人もいるけれど、ランチ10ユーロ前後でカジュアルに食べられることに意味がある。持続可能な生活をしたいと思っている人はたくさんいる。彼らが “今日は家で料理したくないな” と思った時に気軽に来られるレストランにしたいんだ。 ビーガンは金持ちのものだと言う人もいるけれど、そんなことはない。やり方を知っていれば誰でも簡単に実践できるライフスタイルだ」 「レストランはとても流行っている。今日も明日もディナーに100人の予約が入っている。将来、ベルリン以外の街に店を出すかもしれない。 ベルリンにはFreaのスタイルが似合うけれど、別の街には別の街のスタイルがあるだろう」 「お客さんはの反応はとてもいい。気に入らない理由がないだろう? 店の内装は、家庭的な、実家を思い出すような場所にしたいと思った。 家具、グリーン、カトラリー、料理、照明、味、飲み物・・・全てが懐かしい感じを醸し出している。 家具も、新しいものをわざわざ用意するんじゃなくて、できるだけ持続可能なものを集めた。ebayでユーズドを探したり、天然素材のものを集めたり。例えば、このランプシェードは、マッシュルームから作られていて、いつでもコンポストにできるんだよ。面白いだろう? 全部GFと二人で選んだ」 「スタッフには、何が大事か、何を目指しているのか常に伝えるようにしている。最初の1年間は、毎日来て、店が開いている時間はずっと張り付いているつもりだ。今自分たちはオリジナルの宇宙を作り出している最中だから、ひと時も目を離さずに、ずっと見ていたいんだ。 どこから来たのかわからない材料をただ温めて混ぜて完成というレストランがたくさんあるけれど、Freaのシェフは何をしなければならないのか良く分かっている。丁寧に繊細に。ジュースとアルコール以外は全部自分たちで作っている」   「 “廃棄物ゼロ”は、ただ単に廃棄物を減らせばいいっていうだけじゃない。 廃棄物ゼロは哲学だ。もっとクリーンに、もっと環境によく、もっとサスティナブルにというメッセージだ。 食品について、本当にそれが必要か、いつ必要なのか、本当に必要なのか考える。 どこからきた食品なのか、どうやって運ばれてきたのか、どうやって育てられたのか気にして食べる。 例えば、アボカドは、環境にとても悪いから、絶対に扱わない。 アボカドが育てられているのはカリフォルニアの雨がほとんど降らない地域なのに、大量の水を必要とするから、アボカドを育てるためにパイプラインを引いて水を与えているんだ。アボカドのために。信じられないだろう?」 「やってみたら簡単だから、世界中に廃棄物ゼロレストランが広がってほしい」 野菜くずや残飯などの食品廃棄物は、全てコンポストに入れられて、24時間後には肥料になり野菜の仕入れ元の農場に返される。また、ここではプラスチック類は一切使われていない。野菜などの素材はそのまま運ばれて来る。 週替わりランチのメインは二種類から選ぶようになっている。 メニューをいろいろ用意しすぎないのも、食品廃棄物を減らすための工夫だろう。 ここにお客さんとして来た時にいただいたブロッコリー&椎茸のパスタは本当に美味しかった。ちゃんと、一つ一つの素材の味が引き立っていて、ベルリンでは珍しい歯ごたえ、食感が楽しめる味だった。 ランチ&ディナー 月曜から金曜: 12~15 週替わりランチ 火曜から土曜:18~22 ディナー 予約推奨 スターター:4ユーロから メイン:9ユーロから ランチメニュー小:13ユーロ(その週のスターター&おすすめメイン&飲み物) ランチメニュー大:16ユーロ(その週のスターター&おすすめメイン&デザート&飲み物) Frea https://www.frea.de/ Torstraße 180, 10115 Berlin Mitte   ベルリン・モロッコについての記事を書いています。 今までのお仕事リスト(日本語) Kaori Miyamoto’s writing work (En)

Kopps ベルリンで高級ビーガンレストランに行ってみる

ベルリンらしい食べ物というと、アイスバイン(豚肉の塊の煮込み)やシュニッツェル、チープ系ならビールにソーセージやケバブとこってり系が有名だけれど、私の周りには肉を大量に食べますという人はほとんどいない。 40歳以下のベルリン人には、ベジタリアンやビーガンの人が非常に多い。おしゃれで健康的で、ヨガまたはピラティスに通っていたら大抵ベジタリアンかビーガンだ。 ドイツ全体では、10%がベジタリアン、1%がビーガンだ。(2016年)ベルリンの実感としてはもっと多く、若年層ではさらに増えるだろう。 レストランがベジタリアン・ビーガン対応なのは当たり前。ビーガン専門レストランだけで50軒以上あるとか。 ベルリン中心部、ミッテに面白いビーガン専門レストランがあると聞いて行ってみた。 Come together ~みんなで同じテーブルを囲む 2011年のオープン以来、ビーガン激戦区、ベルリンでも特に注目されている高級ビーガンレストランKopps。 地産地消の厳選された素材を使った、アーティスティックな料理が食べられると評判の一軒だ。 ディナーはドリンク別で一人50ユーロ程度からなので、物価が安いベルリンの感覚では高め。記念日や誕生日に行くレストラン、というイメージだが、毎週火曜日の夜に限り、25ユーロで3コース(前菜・メイン・デザート)をいただける、Come Together というイベントが開催されている。 Come Togetherでは、大きな長テーブルに参加者のお客さんが座り、同時にサーブされるおまかせ料理を一緒に食べる。 予約不可、早いもの順ということだったので、17:45ごろに行ってみると、すでに5人程が扉の前で待っていた。1人で行っても、2人で行ってもいいけれど、3人以上だと多いかも。18:15以降は参加できない。 Come Together の年齢層は低めで、20代と30代前半。 高級ビーガンを試してみたいけれど、普通のディナーメニューは高すぎるので、このイベントに参加したという雰囲気の人が多かった。 ドリンクは別なので、メニューから選ぶ。 知らない人同士、みんなで一緒に食べようというイベント。雰囲気は、小規模のパーティーに居合わせた人同士という感じで、最初はぎこちなく会話が始まる。以前も、マラケシュで、こういうスタイルのランチに行ったことがあるのだけれど、マラケシュの場合はオーナーが真ん中に座り、会話をリードしてくれたから楽だったけれど、ここは放置。そして会話のメインはドイツ語。ドイツ人はシャイ。(マラケシュではフランス人とベルギー人だった) アミューズに続いて前菜が来た。 こんな風に美しくて繊細な味をベルリンでも食べられるんだ・・・ それもビーガン専門レストランで。 ベルリン・ビーガン事情 美味しいですね。きれいですねなんて話していたら、だんだん会話が盛り上がり、向かいに座っていた若いドイツ人のカップルと、食のスタイルについて話をした。 二人は20代後半で、来年結婚予定。結婚式で使うケータリングサービスを探して、ビーガン専門レストランを食べ歩いているらしい。 彼の方が付き合う前からビーガンで、彼女は彼の影響で食生活を変えたというので、彼にビーガンになった理由を聞いてみた。 「牛乳や牛肉の生産についてのドキュメンタリーを見たことが最初のきっかけで、自分が食べているものについて考えるようになって、その結果選んだのがビーガンというスタイルだった」 近い将来子供が欲しいという話になったので、子供が生まれたら何を食べさせるの?と聞いて見たところ、 「家ではビーガンで育てるけれど、外では好きなものを食べたらいいと思う」 という。彼女のお父さんは、動物の解体からできるシェフで、ビーガンとは正反対の生活スタイルの人。でも、たまにうっかり動物由来の調味料を使いそうになる他は、親子の食のスタイルが違っても特に問題はないそうだ。 Koppsの感想は、「とても美しくて丁寧でおいしいけれど、自分たちの結婚式に使うには高級すぎる」とのこと。「でも、みんなで食べるCome Togetherというアイデアはとても面白いね」と言っていた。 英語ができる人は、Come together に行って、ベルリナーと会話をかわしてみるのも面白いかもしれない。また、土日の16時までやっているブランチビュッフェも様々なビーガンメニューが揃っていて人気だ。素材の味がしっかり生かされたシンプルな料理から、何が原材料なのか分からない、創作料理までいろいろある。 旅行中は野菜不足になりがち。ビーガン、ベジタリアンの人はもちろんのこと、そうでない人も、お野菜をたっぷりいただきたい、という時にオススメ。観光地の真ん中にあり、アクセスも良い。   Come together 祝日や特別な日を除く毎週火曜日18:00から 3コースメニュー25ユーロ(飲み物別) 週末ブランチ:18ユーロ 夜のアラカルト スターター5ユーロから メイン18ユーロから デザート12ユーロから Kopps Linienstraße 94 10115 Mitte Berlin Tel.: (030) 43209775 https://www.kopps-berlin.de/en/   営業時間: 月曜〜金曜:18:00~22:00 土曜&祝日: 9 : 30〜22 : 00 日曜日:09 : 00〜18 : 00 カードOK(通常メニューのみ。ブランチ、Come togetherは現金のみ) Come togetherは予約不可。通常のディナーは要予約。 S-Bahn Hackescher Markt から徒歩12分 U-Bahn 8 Rosenthaler Platz から徒歩4分 ベルリン・モロッコについての記事を書いています。 今までのお仕事リスト(日本語) Kaori Miyamoto’s writing work (En)

環境に良いことをしよう…そして節約しよう!廃棄食品専門スーパーSir Plus

Sir Plusは2017年9月にベルリンで始まったスタートアップだ。 彼らは、廃棄処分予定の食品を集め、実店舗とオンラインショップで定価の20~80%引で販売している。ベルリン市内に3店舗を構え、取り扱い商品種類は400種類、1日の利用者数は1200人、従業員数70人だ。 テンペルホーフ空港跡地にある1000平米の倉庫には、メトロなどの大手スーパーマーケット、ビオ・スーパーマーケット、卸業者、生産者などから集められた25万点の食品が保管されている。創業からの2年弱で1800トンの廃棄食品を販売した。 フラッグショップのシュテーグリッツ店で創設者のラファエル・フェルマーにインタビューして来た。     ドイツの食品廃棄の現状 ドイツでは毎年1800万トン、全流通量の1/3の食品が捨てられている。(WWF) (日本は毎年2759万トン/環境庁)(*1) ドイツ連邦食品農業省ウェブサイトによれば、食品廃棄物の61%が一般家庭から、17%が飲食店から、17%がスーパーなどから出ている。(*2) 2012年の調査によれば、一人のドイツ人あたり、年間81.6キロを廃棄しており、4人家族であれば、食品廃棄による金銭的損失は年間940ユーロに登る。     食品廃棄の理由は様々で、賞味期限切れ、形が悪いから、値崩れ防止、過剰生産、パッケージに傷がついたから、前日のパン、茶色くなったバナナなど・・・。フランスやチェコではスーパーマーケットによる食品廃棄が禁止され、コンポストやホームレス支援などに利用されるようになっているが、今のところドイツにはそのような法律はなく、WWFから批判されている。     環境に良いことをしよう…そして節約しよう! Sir Plus のキャッチフレーズは”Schone die Umwelt…und spare dabei Geld!”。日本語に訳すと「環境に良いことをしよう…そして節約しよう!」。 フラッグショップがあるシュテーグリッツは、ベルリン西部の高級住宅地だ。 お店は地域のメインステーションから徒歩2分の大通り沿いの好立地、私が到着した時も何組ものお客さんが入店していた。 “環境のことを考えています、食に関して常に考えています。ビーガンです”という雰囲気の人ばかりかと思いきや、店内で買い物を楽しんでいるのは、通りを歩いている人々の構成そのままだった。老若男女、豊かそうな人から、そうでもない雰囲気の人まで。痩せている人も太っている人も、いろいろな人が混じっている。   (できるだけお客さんを写さないようにしたので、空っぽに見えるが、実際はたくさんのお客さんが買い物を楽しんでいた) ベルリンのスーパーでは珍しい光景だ。 例えば、私の住まいの近所のショッピングモールにはスーパーが4つ入っている。 高級・品質重視系・激安系・ビオ系・トルコ系の四店だ。 最初に見たときは、スーパーばかり軒を並べてどうするのだろう?と思ったけれど、はっきりと利用者層が分かれるので、それぞれに需要がある。 ビオスーパーで買い物をする人は、激安系には足を踏み入れないし、その逆もない。 Sir Plus の店内には、お店のスローガン通りの「環境に良いことをしよう…そして節約しよう!」 な人もいれば、「節約しようと思ったら、いつのまにか環境に貢献していた」という人もいそうだ。 もちろん、Sir Plusを利用することが環境問題を考えるきっかけになってくれたら嬉しいけれど、本来捨てられるはずだった食品を購入することで環境に貢献しているわけだから、どんな人も歓迎する。一度利用してみれば、 Sir Plus の食品が、まだまだ食べられるものだということがわかるし、これから“賞味期限切れ”で何かを捨てようと思った時に、少し考えてもらえれば、それだけでも大きな変化だ。 ”これはダメ、あれもダメ。世界にはこんな悪いことが起こっている、地球は無茶苦茶だ” というネガティブな方向からではなく、“今日も廃棄食品を救った。良いことをした、美味しく食べた”というポジティブな方向から食品レスキューを展開して行きたい。   賞味期限と消費期限 450平米の広い店内は、温かみのある楽しい雰囲気で装飾されている。 予想通り、有機栽培の野菜やビーガン向けの食品もあったが、DOVEの石鹸、M&M、ハーシーズのチョコレートなどのマスプロダクトもあった。冷蔵庫にはヨーグルトや生パスタ、チーズなどが並ぶが、これらは週に5回、大手スーパーマーケットのメトロ各店から引き取ってくるものだ。広い店内には、様々な食品、飲み物、生活用品が並び、これらの全てが廃棄される予定だったことを想像し驚いたが、彼らの倉庫には、実に25万点の商品が保管されているという。   (M&Mには、定価2.99ユーロが1.95ユーロ。35%引き。賞味期限は2019年5月2日であると書かれている) 廃棄食品をレスキューすることに意味がある。当然のことながら、ビーガン食品よりも一般食品の方が量が多く、一般食品をレスキューすることは、それだけ環境に対して意味があるから、どちらも扱うことにしている。Sir plusは大手既存スーパーマーケットの敵ではなく、彼らと助け合い共存していきたいと思っている。   商品紹介には、値段とそれぞれの「賞味期限」が明記されている。 「賞味期限切れ」の商品を扱っているのだから当然のことながら、一ヶ月前、二ヶ月前に期限が切れている商品が堂々と並べられている光景は衝撃だった。 買い物客たちは、じっくり説明を読んで、割引率を見て、「賞味期限とは何か」という説明ポップも読んでカゴに入れている。     賞味期限とは何か? EUの規定によれば、「適切に保存されていた場合、味、見た目、品質が基準以上であること」 メーカーは安全をとって賞味期限を短めに設定するため、実際は賞味期限切れでもほとんどの食品が食べられる。 販売する場合ははっきりとそれを消費者に伝える義務があるだけで販売自体は合法だ。 賞味期限内の食品の品質についてはメーカーが責任を持つが、賞味期限切れの後は、販売者の判断・責任になるため、そのリスクを負いたくない販売者は廃棄してしまうことが多い。 WWFは、消費者の選択肢が増えるよう、賞味期限ではなく、生産年月日を記載することを求めている。 また、ドイツ連邦食品農業省は、一般消費者が混同しがちな「賞味期限」と「消費期限」の違いを消費者に教育する必要があるとしている。 消費期限は、肉などの「この日以降は食べてはならない」という日付だ。   自分の五感を信じること 消費期限がある商品は、消費期限前に食べるようにするとして、賞味期限切れの商品の本当の「消費期限」はいつのなのだろう。 若いドイツ人は、賞味期限を一日でも過ぎていたら、簡単に捨ててしまう。まだ食べられるかどうか匂いを嗅いでみることすらしない」 「私たちの祖父母の世代には賞味期限などなかった。みんな、それが食べられるのかどうか自分の感覚を信じて食べていたし、その能力があった。 例えば賞味期限を少し過ぎた食品を機械的に捨てるのではなくて、その食品が生産されるためにどれだけのエネルギーが使われたのか、立ち止まって考えてみる。その上で食べるか、捨てるか判断する。 味見をしたり、匂いをかいだりして、自分の五感を信じるという当たり前のことを取り戻したい。   これからの五年間 最後に、これからの五年間で何をしたいか聞いて見た。 廃棄食品をレスキューするということが特別なことではなく、一般的な普通のことになってほしいから、ベルリンの外や他のEU諸国にもフランチャイズや直営店を増やしていきたい。現在そのためのクラウドファウンディングを行なっている。また、生産者と直接繋がって、流通に乗る前に廃棄されていた形の悪い野菜などを使い自社ブランドの食品を作りたい。 インタビューがほぼ終わり、雑談をしていたら、ラファエルが「食べるということはエモーショナルなことだ」と言った。それはどういう意味なのかと聞くと、 ドイツ語のLebensmittelという言葉は、単に「食品」を指す言葉だけれど、Lebenというのは”生きる、人生、命”という意味で、もう少し哲学的な意味がある。 誰かと何かを食べること。 美味しさに感動すること。 誰かのために料理をすること。 食べたもので私たちの体ができていること。 特に都市には、自分だけの力で孤独に生きていると感じている人もいるけれど、私たちは、食べ物とつながりあって、食べ物に助けられて生きている。 人間が自然を助けるのではなく、自然が人間を助けている。 だから、食べるものをリスペクトして、何を食べているか、意識しながら生きることはとても大切なことだと思う。   私は肉も卵も魚も食べる雑食で、うっかり食べ物をダメにしてしまうこともけっこうある。賞味期限についても深く考えたことがなかった。 環境運動家と話をしていると、あまりにも真面目・真剣すぎて気後れしてしまうことも多いのだけれど、Sir Plusにはありとあらゆる雰囲気の人がいて、気軽に利用できるところが良いと思った。 インタビュー当日は、その後の予定があり買い物できなかったが、今度改めて買い物に行ってみよう。環境と節約のために…または節約と環境のために。     *2:ゴミの量の統計の問題 正確な数字を算出することが難しいため、政府、WWFなど引用元により異なる。例えば非可食部(バナナの皮など)を統計に含むかどうか、は統計により異なる。また、生産者によって流通前に廃棄される食品は、統計に含まれないので実際の量はさらに増えると推定されている。 *1:日本の食品廃棄物 「平成28年度の食品廃棄物等及び食品ロスの発生量の推計結果を公表しましたので、お知らせします。食品廃棄物等は約2,759万トン、このうち、本来食べられるにも関わらず捨てられた食品ロスは約643万トンと推計されました」(環境庁HPより) 参考: WWF/Studie Bundeslaender und Lebensmittelverschwendung https://www.zugutfuerdietonne.de/ 環境省_我が国の食品廃棄物等及び食品ロスの発生量の推計値(平成28年)    

BAUHAUS100周年 2 バウハウス・デッサウ校舎 ガイドツアー&実用情報

デッサウ校舎のガイドツアーに参加してきた。 英語ガイドツアーは金曜日のみなので、土日にはドイツ語バージョンしかない。 チケットを購入する際に、「デッサウ校舎」と「マイスターハウス」のガイドツアーに参加したいというと、デッサウ校舎はガイドツアーに参加しないと入れない部屋がたくさんあるけれど、マイスターハウスは「個人でもツアーでもアクセスできる部屋は同じなので、(ドイツ語があまりうまくない)あなたには不要です」 と言われたのでデッサウ校舎のツアーだけ参加した。 ガイドツアー所要時間は1時間/7ユーロ。 講堂やグロピウスのオフィス、寮は、個人では入れないので、ドイツ語が全くわからなくてもツアーに参加する価値はあると思う。 ただし、ツアー参加者は20人くらい居て、みんなでぞろぞろ移動するのでゆっくり見ることは難しい。ツアーで一通り歩いて、後から気になったところはもう一度見て回っても良いかもしれない。   時代背景 1902年 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが「工芸ゼミナール」を設立 1914年 第一次世界大戦開始 1915年 グロピウスが工芸ゼミナールの校長になる 1918年 第一次世界大戦終結 1919年 国立ワイマール・バウハウス設立 1921年 パウル・クレーが教授として参加 1922年 ワシリー・カンディンスキーが教授として参加 1923年 デッサウに航空機メーカーのユンカース発動機工場有限会社が設立 1925年 デッサウ市立バウハウス設立 1928年 ハンネス・マイヤーが校長になる 1929年 世界恐慌 1930年 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長になる 1932年 バウハウス、ベルリンに移転 1933年 バウハウス解散 1933年 ヒトラー内閣 1939年 第二次世界大戦開始 1996年 ワイマールにバウハウス大学が設立された 1999年 デッサウに「バウハウスコレーグ」が設立された     デッサウでは当時、ユンカース航空機などの製造業が盛んで、市としてバウハウスの招致に積極的であり、公共、私企業を問わずバウハウスと密接な関係を結び新しい素材や製品が開発された。 第一次世界大戦で破壊された街の復興のために、新しいデザイン、建築が必要であるという信念があった。 芸術と技術を融合させ、大量生産が可能な仕組みを作り、一般市民にシンプルで美しいデザインの住宅や家具、道具を供給する。赤、青、黄色の三原色と三角、丸、四角というシンプルな形がバウハウスの基本となり、1933年に閉校するまでの14年間で、モダン建築、デザイン、芸術、絵画などに大きな影響を残した。 第二次世界大戦前後に多くのバウハウス関係者はアメリカに亡命し、様々な形でバウハウスの活動を引き継いだ。   [Work shop ワークショップ] ガラスのカーテンウォールが素晴らしいワークショップ。 グロピウスは「透明である・オープンであること」にこだわって、このガラスのカーテンウォールをデザインした。 天井のライトは、1926年にマリアンネ・ブラントとHans Przyrembelがデザインしたもの。バウハウスで見かけるデザイン全てに思うことだけれど、100年近く前にこのスポットライト型ランプがデザインされて居たことに驚く。当時、車を持っていたのはグロピウスだけで、バウハウス校舎の周りには馬車が走っていた。 第二次世界大戦中、1945年に近くに爆弾が落ち、ガラス・カーテンウォールは破壊された。戦後しばらくの間は、窓はレンガで覆われ、爆撃された近所の病院の代わりになっていたので、バウハウスで生まれた人もいる。   1963年に再建が始まり、ガラス窓が再生されたのは1976年のことだった。 バウハウスのオリジナルの素材には、当時実験的に作られたものが多数あり、この部屋に使われて居たガラスも、現在のガラスよりもよく光り、反射するクリスタルガラスだった。そのため、外から見た時のバウハウスの印象は、現在よりもさらに強烈なものだった。 残念ながら、今はもうオリジナルと同じ素材は手に入らない。 1976年に、バウハウスに関係するものの収集が始まった。現在ではそのコレクションは、45000点に上り、9月にオープンする博物館に展示される予定だ。オリジナルの家具は全て博物館に展示される予定なので、校舎内に置かれている家具のほとんどはレプリカだ。 この部屋は、夏は暑く冬は寒く、真夏は男性達は上半身裸で作業をしていた。 この窓枠のメタルの色は、黒だったと長く信じられてきたが、最近の研究により、オリジナルは薄いグレーだったと考えられている。 モダン建築には、1920年代の白黒写真の影響で、コントラストの強いモノトーンのイメージが強いが、実際のデッサウ校舎には、様々な色があふれていた。   [グロピウスの執務室] グロピウスはこの部屋で、学生やマイスターたち、バウハウスの製品製造を請け負う近隣の工場や会社の代表者などと会った。 床は焦げ茶色のトリオリンで作られている。 当時、すでにリノリウムの床は発明されていたが、第一次世界大戦後、リノリウムには高い税金がかけられ、非常に高価だったため、代用品のトリオリンが使用された。トリオリンは、耐火性が低いため現在では使用されない。 レモンイエローのアームチェアー(1920)や桜の木でできたデスクは、グロピウス自身がデザインし、ワイマールからデッサウに持ってきたもののレプリカ。 一般的には、立場が高い人がすわり心地の良いアームチェアーにすわり、学生などの立場が低い人がシンプルな椅子に座るものだが、この部屋では高い立場のゲストも、低いゲストも、常にアームチェアーをすすめられた。アームチェアーの肘掛は、新聞を広げて読むときに腕が疲れないよう、最適な高さにデザインされている。 グロピウスは、マルセル・ブロイヤーの最新作に座ることを好んだ。   [エントランスエリア] 当時の建物には、立派な正面玄関があるものだったが、このデッサウ校舎には“正面”がない。また、玄関に入ったら壁があるものだったが、ここではオープンな空間と大きな窓があり、ガラス越しに素晴らしいパノラマが楽しめる。 天井ランプのデザイナーは、ロシア人のマックス・カイエスキー(Max Krajewski) 。彼は従来のナシの形のランプではなく、細長いランプ円筒型のランプをデザインした。   [講堂] 講堂の椅子も、マルセル・ブロイヤーが手がけた。 当時感染症がはやっていたため、清潔を保ちやすいように、シンプルなフレーム&洗える布、というデザインにした。(ペニシリンが発明されたのは1929年) バウハウスデザインの講堂は世界中でここにしかない。 バウハウスでは、ダンスや音楽なども取り入れられ、この講堂で披露された。 講堂の隣には食堂があり、当時は学食として使用されていた。今でも宿泊客、観光客、学生、スタッフの食堂として使われている。     バウハウスという名前はバウヒュッテBauhütteという言葉から来ている。 バウヒュッテとは、中世ドイツの職人協同組合を指す言葉で、マイスターを頭とする徒弟制度が特徴。デッサウ・バウハウスでもその思想が取り入れられて居たため、教師はマイスターと呼ばれた。     マリアンネ・ブラント(1893-1983) 1924-1926年学生としてバウハウスに在籍。クレーやカンディンスキーの教えを受ける。金属工房唯一の女性。1933年までバウハウス関連の仕事につく。彼女がデザインした卓上ランプは、バウハウスデザインの中で、現代までに最も広く普及しているデザインのひとつ。   Hans Przyrembel (1900-1945 ) ドイツ・ハレ出身 鍵屋の見習い終了後、第一次世界大戦従軍。 1924-1928年 バウハウスに在籍。マリアンネ・ブラントとともに様々なデザインを生み出し、1932年にはマイスターになったが、第二次世界大戦に従軍。1945年に亡くなった。   マックス・カイエスキー(Max Krajewski) また、彼は一時期プレラーハウス(寮)で暮らし、1930年までバウハウス関連の仕事をして居たが、1931年にソ連に移住した。     [入場&ガイドツアー詳細] シングルチケット バウハウス・デッサウ校舎、マイスターハウス、コンシュームビルディングのうちの一軒のみ入場可能。当日のみ有効。 8.50ユーロ/5.50ユーロ(割引)18歳以下無料 オールインワンチケット 全ての建物にそれぞれ一回に限り入場可能。3日間有効。 15ユーロ/11ユーロ(割引)18歳以下無料 (デッサウ校舎ではチェックがなかったので複数回入場可能だった) ガイドツアー:7ユーロ・割引料金なし・18歳以下無料 オーディオガイド(日本語あり):5ユーロ 写真撮影許可:5ユーロ バウハウス・デッサウ校舎 10:00~17:00 マイスターズハウス 10:00~17:00 12/24~26、12/31~1/1を除く毎日 英語ツアー:金曜日のみ 12:00 バウハウス・デッサウ校舎 13:30 マイスターズハウス […]

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