バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ/ダニエル・バレンボイム著

バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ/ダニエル・バレンボイム著/ アルテスパブリッシング/2008年 今朝、あるイスラエル料理レストランのシェフをインタビューしました。 彼女のお父さんはモロッコ系ユダヤ人で、五歳の時にイスラエルに移住。そして娘である彼女は5年前にベルリンに移住してきました。 彼女が作るのは、イスラエル料理ですが、日替わりメニューにはモロッコ風クスクスが登場しますし、レバノンから取り寄せたスパイスも使います。 イスラエルは世界中から集まったユダヤ人によってできた国なので、イスラエル料理にはそれぞれの出身国の影響が色濃く、当然、アラブの影響も大きいのだそうです。「これは中東からきたデイツを使ったソースで、砂糖よりも美味しいのよ・・・・ちょっと高いけれどね・・・これはモロッコ風のプリザーブドレモンで、ちょっとカットして加えると繊細な味付けになるのよ」 様々な国からきた素材の味。それぞれの味がはっきり分かるけれど、悪目立ちすることもない。絶妙のバランス感覚を持ったシェフの手によって素晴らしいハーモニーを奏でます。 彼女の話を聴きながら、現代最高のピアニストの一人で、ベルリン国立歌劇場の指揮者であるダニエル・バレンボイムによる「バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ」を思い出しました。 彼はアルゼンチン出身のユダヤ人で、パレスチナ人文学者のエドワード・サイードとともに音楽でユダヤ・アラブ世界を結ぶ活動をして来たことで知られています。 彼らは1999年にイスラエル人と、レバノン人、ヨルダン人、シリア人などからなるオーケストラ「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」を結成しました。楽団の名称はゲーテの著作『西東詩集』から取られ、2005年にはパレスチナ自治区ラマラでコンサートを行い世界中を驚かせました。 本書では、オーケストラが生まれるまでの経緯や、不可能と思われた自治区でのコンサートが実現するまでの逸話が臨場感あふれる筆致で記されています。   「しばしば、私の積極的な行動が賞賛を受けることがある。ただし、その賞賛には、往々にして世間知らずという響きがこめられている。けれども私に言わせれば、六十年間もうまくいかなかった軍事的解決に頼ろうとするほうが、よほど世間知らずなのではないだろうか。過去とは現在につながる道にほかならず、現在とは未来につながる道である。そうである以上、暴力的で残虐な現在は、必ずやさらに暴力的でさらに残虐な未来へと進んでいくことになるだろう。」(114ページ)   バレンボイムは、人生、生き方、人との関わり方、政治、国際関係に至るまで、音楽から学ぶことができると考えます。「暴力的・力ずく」ではない、ほんものの強さとは何か。それを音楽から学ぶことができるといいます。   「強さと力の違いを理解することが重要である。この違いは音量と音の強さの違いに関連している。もっと強さを高めて演奏するようにと言われると、奏者はまず、より大きな音で演奏しようとする。ところがじつは、まったく逆のことがもとめられているのである。音量が小さいほど、より強さが求められ、音量が大きいほど、強さの必要性は小さくなる。ベートーヴェンやワーグナーで音のほとばしりによって生み出される効果は、音を一段階ずつ力ずくで大きくしていくのではなく、音が自ずと発展していくにまかせるほうが、はるかに有効に作用する。なぜなら音の本来的で内在的な強さとは徐々に蓄積していくエネルギーから生まれるものだからである。テンションの増大と解消は音楽表現の根幹である。」(161ページ)   本書にはまた、「思考と閃き」の関係についての非常に興味深いパートがあります。音楽や芸術について学ぶ、理屈で理解するというのはどういうことなのか。アートに興味がある人は一度は考えたことがあるテーマだと思います。   「演奏者のなかで作品の構造が、演奏中に知的な思考がもはや不要になるまで、じゅうぶんに内面化されていなければならないということである。また、これにより演奏者は、自分のなかに湧いてくる自発的なうながしが、独りよがりな思いつきから生じているものではなく、曲にたいする深い理解から生じているという確信をもつことができる。」(75ページ) ベートーヴェン交響曲7番   数ヶ月前に本書を初めて読んでから、一度聞いてみたい、経験したいと思っていた「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」のコンサートに行く機会がありました。ヴァルド・ビューネというベルリン西部の野外劇場でのコンサートです。ヴァルド・ビューネは、1936年、ベルリン・オリンピックの会場として建設されました。そう。あのナチスのオリンピックです。現在では毎年6月にベルリンフィルハーモニー管弦楽団のシーズン最後のコンサートが、8月にはウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のコンサートが開催されます。   チケットは15ユーロから。収容人数は22000人。普段はクラシックコンサートに足を運ばない人も集まるお祭りです。会場周りにはビール、ソーセージ、ピザなどの屋台が並び、背もたれのないベンチに敷物を敷いて座ります。   8月18日 ダニエル・バレンボイム指揮 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団20周年記念、ベートーヴェン生誕250周年記念コンサート   演目; ベートーヴェン「エグモント」序曲op.84 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」op.61 ヴァイオリン:マイケル・バレンボイム ベートーヴェン「交響曲第7番イ長調 op.92」   ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団は、14歳から28歳の若手演奏家のオーケストラで、一年中一緒に演奏しているわけではありません。毎年夏に集まり世界各地を演奏して回ります。 前半はまあまあ。ヴァイオリンのミヒャエル・バレンボイムはダニエル・バレンボイムの長男なので「親子共演が観れてよかった、気持ちの良い夏の夜をありがとう」という感じの温かい拍手が起こりました。   後半はベートーヴェン交響曲7番。 出だしの一音から前半とは全く異なるテンションで始まり、期待と興奮が会場を包みます。   第2楽章。気がついたら空が濃い群青色になり、オレンジ色にライトアップされた舞台が浮き上がっています。観客の気持ちもますます舞台に引き込まれ、ビールを飲みながら聞いていたおじさんも、フレンチフライを食べていたおばさんも集中しています。そしてフィナーレ。若々しさあふれる素晴らしいベートーヴェンで、「暖かい」とか、「きれい」とかそういう生ぬるい感情を全部上書きしてしまうような激しい喜びと悲しみを感じました。   音楽を勉強中でスランプに陥っている人も、音楽以外の芸術家を目指している人も、アートを鑑賞することが好きな人も、そうでもない人も、ぜひ本書を読んでから、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のベートーヴェン交響曲第7番を聞いてみてください。耳障りが良いこと、優しいことは一つも書かれていませんが、音楽を勉強する、理解するヒント、人生へのヒントであふれています。   最後に、私がもっとも勇気付けられた言葉でこのテキストを閉めたいと思います。   「こんにち、モーツアルトからなにかを学べるとすれば、なにもかもひどく深刻にとる必要はないということだ。どれほど悲劇的な状況でも、どれほど恐ろしい状況でも、あらゆる状況には必ずそれほど深刻ではない側面がある。 私はそのことをモーツアルトから学んだ。ようは、まさにものごとをバランスよく保つということだ。」(183ページ) *下線は筆者による。   バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ/ダニエル・バレンボイム著/ アルテスパブリッシング/2008年  

ベーシックな食材をクリエイティブに料理したい~Anat / restaurant Beba

前にオーナーのインタビューを掲載したイスラエル料理レストランBeba。 仕事で追加の写真が必要になったので、今度はシェフにインタビューしてきました。     「私の名前はAnat。イスラエル出身で、4年前にベルリンに来ました。ここに来た時は、ヨーロッパの素晴らしいレストランの素晴らしいキッチンで働く夢を持っていました。大きな町の偉大なシェフから何か素晴らしいことを学べると期待して来ました」 「実際に大きなレストランで働き始めたのですが、正直言って、なんと言えばいいのでしょう?少しがっかりしました。 ベルリンのドイツ料理は、オールドファッションで、遅れているというか・・・あまりクリエイティブとは言えなくて。 私は高級レストランにはあまり興味がないんです。世界中から取り寄せた超高級食材を使った100ユーロとか150ユーロとかの料理には興味がありません。 そういう料理を作って食べてもらうことがまともなことだと思えなくて。 シェフとしては変な考えですよね。でも、私はベーシックな食材をクリエイティブに料理して、誰もが食べられる価格の食べ物を作りたいんです。 発酵させたり、ピクルスにしたり、ゆっくり長時間料理したり、スパイスを使ったり、組み合わせを考えたり。美味しい料理を作るための可能性は無限にあります」 最初のレストラン 「料理、食べることの基本は家族から学びました。小さい時からキッチンを手伝うことが大好きで、17歳でカフェのキッチンで働き始め、いくつかのレストランで働いたあと、22歳で小さなレストランを、小さいけれど自分のレストランをレホヴォトにオープンしました。 レストランの周りには工場がたくさんあって、毎日のランチにはお腹をすかせた人たちがたくさんやってきました。 彼らが求めるのは、シンプルで美味しくて、お腹がしっかり満たされるものです。イスラエルは、世界中から移住してきた人たちでできた国なので、食の選択肢も多く、味にうるさい人も多く、このレストランでの経験から学ぶことはたくさんありました」 ベルリンでイスラエル料理を作る 「ベルリンに来てから2年ほど、大きなレストランで働きましたが、あまり刺激がなかったので、自分で仕事をするべきだと思いプライベートシェフになりました。ベルリンには大きなユダヤ系のコミュニティーがあって、彼らのイベントやパーティーのために料理をしました。私が作るのはイスラエル料理で、お客さんはユダヤ系なのですが、でもドイツで暮らしているから、イスラエルのイスラエル料理そのままでもダメなんです。 どんな風にアレンジすると、イスラエル料理がドイツで受け入れられるか、色々工夫しました」 「Bebaのオーナーのシャニと知り合った時は、彼女は自分のレストランをオープンするための場所を探していました。いくつか一緒にイベントを手がけて、色々な意味で相性が良いことがわかったんです。同じ味、同じ感覚、同じものの見方を持っていることに気がつきました。その後、美術館の中のレストランの話が来て、一緒にプレゼンテーションをして・・・・始まりました」 Infarmの野菜 「シェフにとって、infarm の野菜やハーブと働くことは特別なことです。 普通、こんな新鮮な野菜を手に入れるチャンスはありません。 私にとってはすっかり普通のことになってしまいましたが、普通のシェフは、何日か前に収穫した、ビニールに入った野菜やハーブを受け取って料理します。 私たちは、ゲストに出す数分前に根から切り取ったばかりの野菜を料理します。 今、私たちのところには21種類のハーブや野菜がありますが、この中には、普通はなかなか手に入らない、珍しいハーブもあります。からし菜やわさび菜のような日本の味を楽しめるハーブも育てていますし、イスラエル料理には欠かせないマウンテン・コリアンダーもあります。一般的なコリアンダーよりも味や香りもとても強くて、仕上がりが全然違うんです。 いつも同じものを育てているのではなく、infarmと協力し合いながら、お客さんが好むもの、私たちが使いたいもの、ここの環境に合うもの、合わないもの…を入れ替えています」 持続可能な食について 「食品廃棄物ゼロですと言いたいけれど、残念ながらゼロではありません。 でも、例えばオレンジジュースを作った後のオレンジの皮でオレンジピールやママレードを作るなど、クリエイティブに考え工夫して、できる限り廃棄物を出さないようにしています。ベルリンに来て、大きなレストランで働いていた時も、周りの人たちの環境意識は他の国に比べると高かったと思います。プラスチック、紙、生ごみを分けるという基本的なことだって、出来ていない国はたくさんありますから。 ただ、問題はレストラン業界の利益システムというのは非常に複雑で、経済的にギリギリのレストランも多いんです。食品廃棄物をできるだけ出さない料理には余分の時間がかかります。時間がかかるということは、余分の人件費、費用がかかるということなので、もっと工夫したいと思っていても、現実問題としてなかなか難しいということだと思います。ドイツの人件費はとても高いですから。 だから、私たちのチャレンジ・・・廃棄物をできるだけ出さないようにする。普通に食べてもあまり美味しくない食材を工夫して料理する。そういうことができていることを誇りに思います」 オレンジのサラダ 「撮影用に、私が一番気に入っているサラダを作りますね。 野菜は・・・その時の気分でいい野菜をミックスして、オレンジ、グレープフルーツ、チェリートマト、ラディッシュ。トップには鶏の胸肉を60度の低温でスロークッキングしたものを香りを出すために一瞬炙ったものを載せます。 オリーブオイル、オレンジジュース、レバノンのデイツシロップと塩胡椒の軽めのソースと最後にオレンジピール、チリ&塩とカラメライズしたウォールナッツを載せて完成」 「デイツソースは、イスラエルでは一般的に使われます。 私は白砂糖の代わりによく使います。少し高いけれど、味が良いから。このソースはレバノンのものだと思います。 イスラエル料理には中東風のフレーバーをたくさん使うし、ベルリンではアラブ人の業者から購入することも多いです。 私の父はモロッコで生まれて、5歳でイスラエルに移住しました。 私のモロッコのルーツは、ほとんど意識しませんが、でも私が作る料理にはモロッコの影響があります。毎週月曜日には、一からクスクスを作って出しています。平日の昼は、近所のオフィスで働く人たちがたくさん来るのですが、彼らは軽いサラダじゃなくてしっかりしたものを食べたがるので、日替わりランチを出しています。例えば今日のランチは、サーモンをタイムと塩レモンで料理したものですが、サーモンはとてもヨーロッパらしい食材で、タイムと塩レモンは、エスニックな食材で・・・それが出会ってとても素敵な味になるんですよ」 Anatは昔、イスラエルにある和食店で働いていた。 その時から和包丁を使い始めたと、彼女専用の包丁を見せてくれた。ピカピカに研がれたよく切れそうな包丁。 「この包丁と、ハチマキ、それからキッチンの掃除の仕方について学んだことは私の財産です」 繊細さと強さを併せ持つ彼女の料理はやっぱり繊細で、でも弱々しくない。 それぞれの素材の味が引き立っていて、一口食べるごとに体が喜ぶ、そんな料理だ。実は彼女は10ヶ月の赤ちゃんの母親でもある。 赤ちゃんを育てながら、レストランのオープニングシェフになる。 想像しただけで気が遠くなりそうだけれど、タフさや真剣さとともに仕事を楽しんでいる楽しさが生き生きと伝わってきて楽しいインタビューだった。 「おいしいご飯は、仕事を楽しんでいるスタッフから生まれるの」 キッチンに二時間ほど居たけれど、とても楽しそうに、かつプロフェッショナルに働いているスタッフたちが印象的だった。

子供時代に食べた野菜の味が忘れられない〜 Vegan restaurant Kopps / Ilhami

ベルリン・ミッテ。ベルリンでは最も知られた高級ビーガンレストランの一つKoppsのオーナー、イルハム・ティルジ氏をインタビューして来た。 Koppsに食事に行った時の記事はこちら。 インタビュー申し込みメールへの返信の署名にトルコ系の名前を見て、正直驚いた。私の中でのトルコ人、トルコ系の人々は肉をたくさん食べる人たちで、ビーガンとトルコがうまく結びつかなかった。 「私の両親は、1960年代にトルコからドイツに来ました。私は南ドイツ、シュトゥットガルト近郊の小さな街で生まれました。17歳から3年間、ホテルマンになるための学校に行き、15世紀の城を改築した美しいホテルで働きました」 第二次世界大戦後のドイツには、各国からたくさんの出稼ぎ労働者がドイツにやってきて、復興の手助けをした。1961年にトルコとの間に協定が結ばれると、多くのトルコ人が海を渡り、その多くはドイツに根を下ろした。イルハム・ティルジ氏は、ガストアルバイターの二世。一世である親の多くは、家庭ではトルコ語を話し、トルコ人社会の中で生きる人が多いが、二世以降はドイツで生まれたドイツ人で、学校ではドイツ語、家庭ではトルコ語を話す。     「24歳の時俳優になりたくてベルリンに出て来ました。3年間、演技の勉強をして、小さな劇場で働き始めましたが、私の顔は、人々が期待するステレオタイプのトルコ人の顔でもなければ、ドイツ人でもないので、良い役を得ることが難しかったので、ほとんど無職のようなものでした。南ドイツの子供時代は差別らしい差別を経験しませんでしたが、ベルリンでは色々ありました。俳優をしながら始めたテクノパーティーのプロモーター業が軌道に乗り、プロモーターとして10年働きました」   1989年の東西ドイツが統一以降の90年代のベルリンのクラブシーンは、今よりももっと過激。予定調和など全くない、リハーサルなしの舞台のような場所だっただろう。 いまのベルリンでヨガやビーガンフードなどのリーダー格の人々は、この時代に遊び尽くした40代後半から50代が多い。彼もその一人なのかもしれない。     「2005年に、1件目のレストラン、”Boetzow Privat”をオープンしました。19世紀の建物を使った、ドイツ料理パブです。2件目を出すときに、50年後も続いているような、何か特別な要素があるレストランにしたいと思いました」 「90年代にベジタリアンを試したことがありますが、いまは少量の肉も食べます。それでも、食の持続可能性を実現するためのレストランとして、高級ビーガンレストランは面白いと思ったのです。Koppsを企画し始めたのは2009年ごろですが、ベルリンにはビーガン専門レストランはほとんどありませんでした。今では誰も彼もがビーガンだったり、ビーガンに興味を持っていますが、当時は誰も興味がなく、友人たちは反対しました。2011年にオープンしてからも経営は簡単ではなく、注目が増えうまく回るようになってきたのは本当にここ数年のことです」     ビーガン料理というと、大豆ミートを使った様々な料理が思い浮かぶが、Koppsには、大豆ミートをつかったものは見当たらない。 大豆自体も問題が多い食材だし、「肉のようなもの」をサービスするのではなく、野菜をたっぷり使ったクリエイティブなものをサービスしたいという。 「私の家族はトルコ系です。 食べ物に関する子供時代の思い出は・・・まずは年に一度の犠牲祭という祭りです。この祭りの時に、両親は羊や牛を屠ります。イスラム教の宗教的習慣なのですが、ドイツで生まれ育った私や私の兄弟にとってはトラウマになるような経験でした。私はビーガンのレストランを経営していますし、妹も弟もベジタリアンです。子供の頃の経験が影響しているのだと思います」 「野菜に関しては素晴らしい思い出があります。 私の両親は、畑を持っていて、自分たちが食べるための野菜や果物を作っていました。畑で採れたばかりのトマトはとても美味しく、良い香りがして、そのままで十分美味しかったです。外国から輸入されて来たトマトは形はきれいでも、味が薄くてどうして人々は味がないトマトを食べたがるのだろうと子供心に不思議に思っていました。庭の野菜の味は私の原点になっている気がします」 Koppsではベルリン近郊のポツダムの農場で育てられた有機野菜を使っている。 ここの野菜は、やっぱり彼の子供時代の野菜と同じような生き生きとした味と香りがするそうだ。私がいただいたお料理の野菜も、特にミニトマトの酸味とトマト本来の旨味のバランスが素晴らしく、幾つでも食べたいくらいだった。     Koppsでは、毎週火曜日の夜、Come togetherというイベントがある。 普段は一人ドリンク抜きで50ユーロ程度からの高級ダイニングだが、火曜の夜だけは25ユーロで3コースメニューを楽しめる。 Come togetherの特徴は、レストラン中央の大テーブルに、 Come together 参加者12人が一緒に座り、同じタイミングでコースメニューをいただくこと。 知らない人と一緒に食べましょう、という「共に食べる」イベントなのだ。 「Koppsは、開業以来料理のクオリティを上げ続けていて、クオリティを上げると必然的に値段も上がってしまう。ある時、ディナーには若い人が来ていないことに気がついたんです。彼らには値段が高くて払えない。だから、彼らが来れる程度の値段でディナーをサービスしたいということが一つ目の理由」 「二つ目には、色々なバックグラウンドを持つ人々に一つのテーブルに座ってもらい、一緒に食べて欲しいという意図があります。例えば、ビーガンもビーガンじゃない人も、興味がある人も、ドイツ人も外国人も、様々な年齢層の人たちがみんな一緒に集まって食事をしたらいいんじゃないかと思いました。夏は旅行者が多いから英語の会話がよく聞こえてくるし、冬はドイツ人が増えますね。ビーガンとノンビーガンの割合は半々くらい。私がレストランにいるときは、テーブルに挨拶に行きますが、お客さんに自己紹介をしてもらったり、一言話してもらったりすることもあります。飲み物は別なので、ドリンクを選びながら、知らない人同士の間に自然に会話が始まることもあれば、シャイなドイツ人同士、テーブルの端と端に座って、全く会話しないこともある」   私がCome togetherに参加した時も、最初はちょっと硬い雰囲気だったけれど、同じ鍋を囲まなくても、同じタイミングで同じ料理を食べるというだけでも親しみが湧いてきて、デザートの頃には知らない人同士、結構話が弾んでいた。 私がモロッコで長く暮らしていたためにそう感じるのかもしれないけれど、Koppsには、一見してトルコ料理やトルコ風の要素は全くないけれど、「みんなで一緒に食べる」というのがドイツというよりも、トルコとかイタリアとかギリシャとか、そういう暖かい国の人の発想だなあと思ったし、「肉を食べることがステイタスであるトルコの感覚」に反発を感じたことが持続可能性やビーガンレストランにつながって来たことがとても面白いなあと思った。モロッコ人と日本人のハーフの娘に料理の写真を見せたら、「可愛い!なんかちょっとモロッコみたい」と言っていた。   「大量の肉、大量生産の食品を使い捨てにしていくレストランビジネスは、これからは続いていくわけがないと思います。私たち全員が持続可能性についてもっと考えなくてはならないと思います。ビーガンの人も、ノンビーガンの人も、Koppsに来てこんな食べ方の可能性があるということを経験して欲しいと思います。 ここでは、自然発電の電力、バイオガスを使い、食品ももちろん地産地消のものを使っています。プラスチックは使わないようにしています。 例えばワインですが、9割のワインはドイツ産で、ほとんどはオーガニックかビオダイナミックのワインです。酸化防止剤が入ったワインは去年から扱いをやめました」 「毎日は、何を食べるか、どこからきたものを食べるかの決定で成り立っています。食べているものがどこからきていて、何を食べているのか、を意識しつつ、食べることを楽しむことが大事だと思う。私はたまに断食をしますが、断食すると食べ物の味や食べることの意味を実感することができ、食をより楽しむことができます」 Koppsに食事に行った時の記事はこちら。     旅行中は野菜不足になりがち。ビーガン、ベジタリアンの人はもちろんのこと、そうでない人も、お野菜をたっぷりいただきたい、という時にオススメ。観光地の真ん中にあり、アクセスも良い。 Come together 祝日や特別な日を除く毎週火曜日18:00から 3コースメニュー25ユーロ(飲み物別) 週末ブランチ:18ユーロ 夜のアラカルト スターター5ユーロから メイン18ユーロから デザート12ユーロから Kopps Linienstraße 94 10115 Mitte Berlin Tel.: (030) 43209775 https://www.kopps-berlin.de/en/ 営業時間: 月曜〜金曜:18:00~22:00 土曜&祝日: 9 : 30〜22 : 00 日曜日:09 : 00〜18 : 00 カードOK(通常メニューのみ。ブランチ、Come togetherは現金のみ) Come togetherは予約不可。通常のディナーは要予約。 S-Bahn Hackescher Markt から徒歩12分 U-Bahn 8 Rosenthaler Platz から徒歩4分  

「千の輝く太陽」カレッド・ホセイニ

2001年から2016年まで、モロッコのマラケシュで暮らしていた。 シリアやアフガニスタンのニュースがテレビで流れると、目を背けるか、違う部屋に移動していた。 日本とは異なり、モロッコでは、残酷な映像が、それも子供の映像が頻繁に流れる。知りたくないわけではなかったけれど、それを真っ直ぐ見つめて、感じたり考えたりする勇気を持ち合わせていなかったし、モロッコ人と似た感じの人たちだ、うちの子供達と同じくらいの子だと思えば悲しみを感じたけれど、戦争の中に生きるということが全く実感できないのに、そういう映像を見て感想を言うのも嫌だった。 シリアもアフガニスタンも、遠い国の遠い人々の悲劇だった。   2016年にドイツのベルリンに引っ越しした。 2015年にシリアからの難民がすごい勢いで、ドイツを目指してきて、110万人の難民を受け入れたものの、初期の感動的な興奮状態が落ち着き、こんな大量の人々をどうするんだ?という雰囲気が出始めていた頃だ。   ドイツの公立小学校と私立のカトリック学校にはドイツ語を理解しない子供達のためのウェルカム・クラスができた。 うちの子供達も、教育委員会の指定でバスで20分ほどのところにあるカトリック小学校のウェルカム・クラスに入ることになり、シリアやレバノンから来た難民の子供達と席を並べることになった。 カトリックの学校にムスリムの子供達が通うことについて、問題はないのか?と思ったが、やはり月に一度のミサへの参加・不参加、クラスの入り口に掲げられた十字架などを巡って様々なトラブルがあったが、10人強の子供たちに先生が二人付き、それでも勉強が間に合わない子供には、ドイツ人の一般の母親のボランティアの先生がつくなど、手厚い教育で、ウェルカム・クラス出身の子供の半分が、ギムナジウムに進学した。ドイツ人の子供と同じ比率だ。もともとドイツ語がゼロの子供達。それもドイツに到着する前は、満足に学校に通えない期間があったような子供達の結果としては、かなりのものだろう。1.2の成績でギムナジウムに進学した女子もいた。 (1.0が最高。1.2はかなり優秀な方)   この学校以外の事情はわからないが、ここに限っていえば、外国人の子供達は、かなりフェアに、大切に扱われていた。 ラマダンで水も飲まないことを先生に心配され、ややこしい話になったり、子供同士の喧嘩に宗教がでてきたり、クラス中の子供達が、アラビア語の悪い言葉を覚えてしまったり…色々あったけれど、子供達に幸せになってほしいという大人(先生)の思いが強すぎて摩擦を起こすようなことはあったが、悪意や差別から問題が起こるということはなかった。   子供達の同級生やその親との付き合いを通じて、110万人という数字でひとくくりにされる人々、一人一人の顔が見えた気がした一年だったけれど、それでも「戦禍をくぐって来た」とか、「国に一生帰れないかもしれない」という状況について想像できるか、理解できるかと言われたらやっぱりわからない。   難民の子供達も、うちの子供たちも、ベルリンでは珍しくない外国ルーツの子供達として、普通に暮らして居る。進学の話で悩み、クラスの男子の噂話をし、クラス旅行に何をきて行こうか一日中チャットし合って居る。 彼らの母親も、今度のドイツ語のテストは絶対に受からないに違いないと焦ったり、下の子供の保育園の枠が取れるか心配したり。   普通に普通の暮らしをするために大きな努力をしてきて、今やっと普通の生活を手に入れた人たち。彼らが普通じゃなかった時の苦労は、やはり想像ができないけれど、普通でいられるって本当に、素敵でありがたいことだなあと思う。   この本を読んで、そんなことを考えた。 「千の輝く太陽」カレッド・ホセイニ https://www.amazon.co.jp/dp/B00O1VK02M/  

ベルリンフィルハーモニー第九/ブランデンブルグ門/ 野外コンサート

先週末のバレンボイムに続いて、また野外コンサートに行って来ました。 今回は、ブランデンブルグ門の前で開催された、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の新指揮者キリル・ペトレンコお披露目&ベルリンの壁崩壊30周年記念無料コンサート。 ベートーヴェン交響曲第9番。 コンサートは、8月24日土曜日、20時から。3万人くらい来ると聞いて、早めの18時に到着すると、まだまだステージ近くに余裕がありました。 同行した友人たちと敷物を敷いて場所をとり、売店でピザや飲み物を購入し、開演を待ちます。もっとぎゅうぎゅう詰めで疲れる感じなのかなあと思って居ましたが、ここはベルリン。近くに座っている人たちと色々話したり、過去のコンサートの話をしたりしているうちにあっという間に開演時間になりました。 気がつくと、後ろの方までぎっしり人が入っています。 客層は、前の方はいつものクラシックコンサートで見かけそうな年齢層高めの人々と子連れ(結構居て、近くの子は第4楽章で寝て居ました・・・)後ろの方は、若いカップルやグループが多かったです。主催者発表では、35,000人集まったそうです。 始まる直前は周りの人たちはほとんど立って居て、立ちっぱなしで聞くのか・・・と思って居たのですが、「座れコール」がまずドイツ語で起こり、それでは伝わららないと思ったのか英語で起こり、かなりの人が座ってくれたので、私たちも座って楽しめました。 野外コンサートなので、PA使っているから生の繊細な音じゃないし、第二楽章のティンパニが悪目立ちして居たし(音楽家の友人は固定が悪かったのではないかと言って居た)変なところで拍手が始まったり、ソプラノが叫びすぎだったり、色々ありましたが、そんな細かいことはどうでもいい、素敵なお祭りでした。 歓喜の歌のあの音の暗示、メロディが最初にちらっと出てくるところ、そしてピアニッシモで始まるところ・・・35,000人の期待と喜びが空気に溶け合う感じ。 雰囲気は、あれです。ロックコンサートで、観客が待ち望んでいる曲のサビをちらっと歌って観客を焦らす、あの感じ。 サビが何度も何度も何度もしつこいくらい繰り返し出てきて、大盛り上がりに向かって行く感じ。ロックです。 ベートーヴェンって・・・・それともペトレンコの指揮がそういうスタイルだったのかな?すごく楽しそうに振って居ました。 4楽章の一瞬無音になるところで結構な数の拍手が起こってしまいええええ!と思いましたが、曲を知っているお客さんたちがしーっと合図し、静まったところで間髪入れず指揮が始まりました。 楽章ごとの拍手ももちろん起こってしまいましたが、野外の無料コンサートだし、指揮者も演奏者も織り込み済みではないでしょうか。 周りの観客たちも、ビール飲んでいい気分で一緒に歌っているし楽しくて最高でした。こんな俗っぽいコンサートはクラシックじゃない!とか言われそうなくらい、大衆受けする自由なコンサートでしたが、こんなコンサートを、ベルリン・フィルハーモニーが、無料で、ブランデンブルグ門の前で演奏してしまうところが、最高すぎるベルリンの夜でした。楽しかった・・・。 開場は3時間前。2時間前に行きましたが、前の方の良いところが空いて居ました。1時間前くらいに来る人が多かったです。 A3以上のバッグ、カメラ、パソコンなどの電子機器持ち込み禁止。 ピザなどの屋台が出て居ました。ドリンクの入れ物はデポジット制でしたが、帰りはものすごい人で返却はほぼ不可能。 トイレはかなりの数が用意されており、きれいでした。 敷物、クッション、飲み物、食べ物を持ち込んでいる人が多かったです。 こちらで公開されるようです。 デジタルコンサートホール    

群青色の空の下で聴く、ベートーヴェン交響曲第7番

ベルリンの西の端、シャルロッテンブルグの森の中に「ヴァルトビューネ」という野外円形劇場がある。 ヴァルトビューネは、1936年、ベルリン・オリンピックの会場として建設された。そう。あのナチスのオリンピックだ。 戦後は野外映画館やロックのコンサート会場として使われていたが、1965年のローリングストーンズのコンサートで、暴徒化した観客が会場や会場周辺を破壊すると言う事件があり、しばらく放置されていたが、現在では毎夏ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のシーズン最後のコンサートが、8月にはウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団のコンサートが開催される他、夏の間の様々なイベントやコンサートの舞台となっている。 ベルリン3年目の夏。 ヴァルトビューネを初めて経験してきた。 8月18日 ダニエル・バレンボイム指揮 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団20周年記念、ベートーヴェン生誕250周年記念コンサート ベートーヴェン「エグモント」序曲op.84 ベートーヴェン「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲ニ長調op.61」 ヴァイオリン:マイケル・バレンボイム ベートーヴェン「交響曲第7番イ長調 op.92」 ヴァルトビューネの定員は22,000人。 2000人、3000人、ときには500人の劇場で素晴らしいコンサートを楽しめるのに、わざわざ22,000人の ”クラシック” コンサートに行かなくても、と思ったけれど、演目はベートーヴェン交響曲7番。 のだめカンタービレが大好きな子供達には、”第九“よりも聞き慣れたメロディーだ。 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団には興味があったし、行ってみることにした。 ヴァルトビューネとは、ドイツ語で「森の劇場」という意味だ。 野外劇場でクラシックを聴くこと自体が初めてなので、どんな経験になるか想像がつかなかったけれど、ベルリナーの友人たちに「今度ヴァルドビューネに行く」というと、 「僕がヴァルトビューネに行った時は、途中から小雨が降って来たんだ。雨の中聞いた***は、言葉に表せないほどすばらしかった」 「ビールとソーセージ片手に見るのよ。敷物忘れないで」 「ちょっと普通のコンサートホールとは違う特別な場所よね。ヴァルトビューネはねえ、後ろの方の席がいいのよ。一体感があって。自由席だから早めに行って」 こんなことを言う。 雨の中、ビールとソーセージ片手に聞くベートーヴェン? 想像ができないけれど、みんなヴァルトビューネのことを思い出してうっとりとした顔をしていた。どんな経験になるのだろう。   開演2時間前の17時過ぎに会場近くの駅に到着。 人波が会場目指して歩いているのでついて行く。 若い頃に行ったロックのコンサートを思い出すけれど、こちらはクラシックなので年齢層が2まわりくらい高め。 ピクニック用のブランケットのようなものを持っている人が多い。 セキュリティーチェックが2回あり、カバンの中を確認される。 会場の外には様々な屋台が出ていて、祭りの雰囲気だ。 19時ぴったりに開演。 エグモント序曲が始まる。 音がちょっと硬くて、細かい音が潰れちゃっている感じがする。 これだけの会場で生音だけと言うわけにはいかないから仕方ないけれど、ちょっと気になる。 音楽が始まっても、まだ歩いている人も、席を探している人もいて、ゆるい感じ。 私たちのお隣は、生ビール片手にピザとポテチ。 ベルリンの夏の夜は長いから、まだ空は明るい。 森の中のコンサートと聞いて、木々に囲まれたコンサート会場をイメージして来たけれど、ヴァルトビューネは、森が丸くぽっかり切り取られたその中にある。上を見上げると、大きな空。 ヴァイオリンの音色とともに、空の色が染まり、風が吹き、雲が流れ、鳥たちが帰って行く。 なんという気持ち良い時間だろう。 柔らかい風の流れに音楽が運ばれて行くのが感じられる。 赤ちゃん抱いたお母さんが歩きながら聞いたり、階段に座ったカップルが肩寄せ合って感動していたり。 一楽章ごとに拍手が起こるけれど、クラシック鑑賞のルールなど誰も気にしていない。 オーケストラの音色とともに、鳥がさえずり、たまに飛行機の音が聞こえてくる。 ヴァイオリン・コンチェルトが終わり、拍手。 今日のヴァイオリンは、指揮者のバレンボイムの息子のマイケル・バレンボイム。一箇所大きくミスをしたけれどアンコールのバッハは美しかった。演奏後父子で抱き合う姿に暖かい拍手が起こる。 後半はベートーヴェン交響曲7番。 これを楽しみにしていた子供達は1小節目の出だしの音を聞いた瞬間に身を乗り出して夢中になっていた。 第2楽章。気がついたら空が濃い群青色になり、オレンジ色の舞台が浮き上がる。観客の気持ちも舞台に引き込まれて、ビールを飲みながら聞いていたおじさんも、フレンチフライを食べていたおばさんも、じーっと集中している。 キレッキレのベートーヴェンで、前半の「美しいね」のヴァイオリンは持って行かれた。「暖かい」とか、「きれい」とかそういう生ぬるい感情を全部上書きしてしまうような激しい喜びに悲しみ。 ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団は、パレスチナ系アメリカ人の文学批評家エドワード・サイードとユダヤ人のダニエル・バレンボイムがアラブ人とユダヤ人の音楽を通した理解と融和を願って結成したオーケストラだ。 会場であるヴァルトビューネは、ナチスが建設した野外ステージ。 そんな前提の上で、でもその前提を忘れさせてしまう音楽を奏でて、観客を一つにしてしまう。 またひとつ、ベルリンですごい経験をしてしまった。 子供達の感想: 「今までで一番 “気持ちいい” コンサートだった。いつもは動いちゃいけない、音を立てちゃいけないって言うことが気になって音楽に100%集中できないけれど、今日はとてもリラックスして聞けた。音楽と、空の光が一緒に動いている瞬間があって、とてもきれいだったよ」 本当に音楽に浸るって、そう言うことなのかもしれない。   West-Eastern Divan Orchestra https://www.west-eastern-divan.org/ [ヴァルトビューネ情報] €60/50/40/30/20 19歳まで半額 古い野外会場なので階段が非常に滑りやすく、座るところはベンチ式で背もたれがなく硬いので気になる場合は敷物を持参する。 足元に自信がない場合は、2時間前の開場と同時に入り、一番上の席を取ると良い。 トイレは移動式の野外トイレが設置されていたが、一人使用するごとに掃除されとても清潔だった。 500ml以下のノンアルコールドリンクのペットボトル持ち込み可能。 A4サイズ以上のバッグは禁止。 敷物、ブランケットは持ち込み可能。 ベビーカー、車椅子、傘、カメラ、三脚など持ち込み不可。 車椅子用特別席あり。事前に連絡・相談のこと。

子育てしながらスタートアップで働き、レストランをオープン〜Shani from Restaurant Beba

2019年3月にマーティン・グロピウス・バウ美術館の中にイスラエル料理レストラン、Bebaをオープンした、Shaniの話を聞いて来ました。 私の名前は Shaniです。 私の祖父母は、ロシア、フランス、モロッコ、トルコからアルゼンチンに来ました。当時、経済的な理由や、迫害が理由でアルゼンチンに移住するユダヤ人が多かったんです。そして、両親はアルゼンチンからイスラエルに移住して、私が生まれました。 子供時代はイスラエルで過ごして、ダンサーになるためにアムステルダムに行きました。アムステルダムでは、ダンサーとして活動する傍ら、料理ばかりしていました。友達や友達の友達のために料理をすることが大好きで、いつのまにか副業でケータリングの仕事もするようになって、いつも頭の中は料理のことでいっぱいでした!次は何を食べよう、何を料理しよう。 あの友達には何を食べさせよう。そろそろ***の季節だわ・・・と。 インファームの4年間 アムステルダムには8年いて、その間に結婚しました。 そろそろ新しいことをしたい、新しい環境に身を置きたいと思った時に、ベルリンで仕事のオファーがあったんです。夫も私も。 友達もいたし、ベルリンは大好きな街だし、じゃあ引越ししようということになりました。とてもワクワクしました。 ベルリンではスタートアップの小さな会社で働き始めて、翌年息子が生まれました。 産休中に室内水耕栽培のスタートアップ、インファーム(*1)の創業メンバーと知り合いました。意気投合して、出産したら一緒に働こうと誘われて、産後はインファームで働き始めました。 今ではずいぶん大きくなったけれど、当時は本当に始まったばかりで、私はプロジェクトマネージメントとマーケティングを担当ということになってはいましたが、なんでもやりました。インファームには4年居て、一緒に成長しました。 創業時は、3人の創業者の情熱があふれて居て、特別な雰囲気でした。 試行錯誤の毎日でした。何ができて何ができないのか。ベストな形は何か。実験して失敗して、また実験して・・・ 野菜やハーブを都市で育てたいという、本当にざっくりとしたアイデアから始まったインファームですが、食品業界に大きなインパクトを与えるためには、大企業と協力し合わないとダメだという結論になったんです。 それでまた、大企業と仕事が始まって・・・ 手作りの実験から始まったものが、4年でたくさんの人や会社を巻き込む規模に成長していく様子を見るのは最高にエキサイティングでした。 今息子は5歳で、私がインファームで働いていた頃は、まだ小さかったけれど、16時まで保育園に預けて、夕方は夫と交代で役割をシェアし合いました。 ものすごい勢いで成長するスタートアップで働きながら子育てすることは…簡単なことではないけれど、不可能なことでもありません。 当時のインファームは、本当に小規模で、家族のような雰囲気だったから、子連れで出勤することもできたし、みんなよく可愛がってくれました。 仕事を持つ母親であることは、子供にとっても、仕事にとっても良いことだと思います。限られた時間を計画的に、有効に使おうと思うし、本当に大切なことは何かよく考えるようになります。 そして、子供はたくさんの気づきやエネルギーを与えてくれます。母親として、子供がいるから頑張ろう、しっかり仕事をしようというモチベーションになります。 私自身が子供の頃、母親はフルタイムで働いて居ましたが、母は、帰宅すると私としっかり向き合ってくれたから寂しいとは感じませんでした。 だから私も、息子としっかり向き合う時間をできるだけ取るようにしています。 インファームでの仕事はとても充実していましたが、もっと直接人に食べさせる仕事をしたい、自分のレストランをオープンしたいという気持ちが強くなり、独立するタイミングだと思いました。そこで2018年の4月に退職を決め、レストランを開業できる場所を探して居た時に、シンシア・バルコミと知り合いました。彼女はベルリンでは有名なアメリカ人のカフェのオーナーです。知り合ってすぐに良いコネクションを感じて、顔を合わせて10分後に、「良い場所を知っている」と話してくれたのが、このマーティン・クロピウス・バウ美術館でレストランを開く可能性でした。 出会った2日後に、シンシアは美術館の館長のステファニーに私のことを話し、その1週間後、私はここにきて計画書をだし、2週間後シェフのアネットと一緒にテイスティング・ディナーを開催し・・・会議やペーパーワークや色々の後、ここでオープンすることになったんです。素晴らしい偶然が重なって。 レストランBeba Beba は私の祖母の名前で、全ては彼女から始まったんです。 彼女はとても料理が上手で、家族に美味しいものを食べさせることに常に情熱を注いでいました。とてもエレガントな人で、キッチンに立つ時もちゃんとおしゃれして、赤ワイン片手に料理をするような人でした。 私にとっての美しい女性のお手本です。 もちろん、料理の味付けも盛り付けも繊細で、大きな影響を受けました。 Bebaに食事に来た人には、おばあちゃんの家にきて食事をしたような気持ちになって欲しいんです。 気持ちのよい空気が漂っていて、心がこもっていた料理を食べて、笑顔のスタッフに迎えられる。料理も飲み物も全て自家製で… 良い香りを楽しんで、きちんと栄養をとって。 気持ちの良い空間で良いものを食べた後は、身も心も幸せになる。 食事した後、何時間もハッピーでいられる料理を出したいと思っています。 レストランの空間も、サービスも、料理も飲み物も、お客さんに「あなたのことを思っています」というメッセージなんです。おばあちゃんの料理みたいに。 レストランとお客さんが、そんなエモーショナルな結びつきを持てることが私の理想です。 だから、特に重要だと思っていることは、なんでも自分たちで手作りすることです。 例えばピクルスは全て自分たちで漬けているし、ソースも、ディップも全て手作りです。 そして、もちろんインファームの野菜です。 ここで育ったばかりの新鮮な野菜を出します。 お客さんは、美術館に来たついでにたまたま来た人もいるし、近所のビジネスマンもいます。 かなりメディアには取り上げられているので、私たちのことをどこかで読んだり聞いたりしたという人もいます。初めて来た人はみんな、インファームのスマート・ガラスケースについて質問して、驚いて、夢中になります。 目の前で育ったものを食べるというアイデアが珍しくて楽しいし、店の中で育っているものと、自分のお皿に乗っているもののつながりを感じることが素敵だと感じるからです。 インファームの野菜は、すでに完成された素材なので、その繊細な味わい、感触をできるだけ生かして壊さないように細心の注意を払っています。 野菜と野菜やハーブの組み合わせを工夫するだけで素晴らしい味になります。 持続可能な食について 私はビーガンでもベジタリアンでもありませんが、肉を作るための膨大な資源の無駄のことを考えて、あまり食べないようにしています。 できるだけ地産地消の食品を使うようにしています。 廃棄食品の問題については、シェフのアネットが素晴らしくて、私たちのキッチンからはほとんど無駄が出ません。 メニューの組み立て、何をどれだけ仕込むか、どんな風に保存するか。 無駄を出さないと決めて、きちんと考えれば、かなりの廃棄食品を減らすことができます。これもおばあちゃんの知恵ですよね?昔の人は何も無駄にしないように工夫しました。 それから、そのまま食べても美味しくない食材を、いかに美味しく食べるかということにも、工夫の余地はたくさんあります。 例えば私たちのビーフサンドイッチに使っているビーフは、硬くてあまり人気がない部位なのですが、スパイスと一緒に6時間かけてスロークッキングすることで、柔らかく美味しくなります。Bebaの人気メニューです。 これもおばあちゃんの知恵かもしれませんね。 インファームで働いた4年間で、持続可能な食についてはたくさんのことを学びました。もちろん、インファームの野菜やハーブ自体を使うことも、資源の節約につながっています。 スタッフからも毎日のように様々なアイデアが出て来ます。 これはこんな風に使えるんじゃないか、こうした方がいいんじゃないか・・・ 無駄遣いをしない、食べ物を大切にするということがみんなの共通目標になっています。 サンドイッチ 8ユーロから サラダ 15ユーロから メイン12 ユーロから イスラエルのタパス単品7ユーロ。三品で15ユーロ。 ホームメードケーキ4.5ユーロから エスプレッソ2.8ユーロなど Beba (Martin Gropius Bau ) https://www.facebook.com/Beba-at-Gropius-Bau-309194473058929/ 火曜定休 10:00~19:00 Niederkirchnerstr. 7 10963 Berlin カードOK   チェックポイントチャーリーの直ぐ近く。観光の中心なのでアクセスしやすいです。 (*1) インファーム:infarmは、今ベルリンで最も注目されているスタートアップ企業の一つ。自社クラウドコンピューターとつながった室内水耕栽培システムをスーパーマーケットなどに置き、新しい形の地産地消に取り組む。 https://infarm.com/

やってみたら簡単だから、世界中に廃棄物ゼロレストランが広がってほしい~ Frea / David

Frea は、2019年3月にオープンしたばかりのベルリン初の「ZERO WASTE 廃棄物ゼロ」 ビーガン・レストラン。オーナーのDavidにインタビューした。     1987年、壁が崩壊する2年前の東ベルリン生まれ。もちろん、東ベルリン時代のことは何も覚えていないが、親からは常に聞かされて育った。 「レストランをオープンするまでのストーリーを聞かせてください」 「4.5年前に、イベントのためのケータリングビジネスを始めた。 ケータリングを始めて1年後には250人のイベントのために料理するようになった。JOHNNY AND THE FOODというブログをはじめ、you tube に料理についての動画をアップし、ホリスティックヘルスコーチの資格も取った。 ケータリングの仕事が軌道に乗って、月に5000ユーロは稼げるようになったんだけれど、同じことの繰り返しで快適すぎて、新しいことにチャレンジしたくなった。快適な状況は嫌いなんだ。 難しいことに挑戦して、できた時の達成感が好きなんだ。 だから、新しいことにチャレンジすることにした」     「3年前から廃棄物ゼロ・Zero wasteについて考えていて、これはチャレンジになるって思った。すでに、プラスチックを使わない暮らしを実践していたから動画に撮ってyou tubeにアップしてみたら、反応がよかったからこれはいけると思った。 Zero wasteを実践するなら、自分ひとりでするんじゃなくて、周りの人たち、友達、家族、お客さん、環境にできるだけインパクトを与えたい。そう考えて、Zero waste、地産地消、季節のものだけを使ったレストランをオープンすることを思いついた。僕にとってはZero wasteとビーガンはセットだから、レストランをやることを決めた時に禁煙・禁酒してビーガンになった」   廃棄物ゼロのレストランをオープンするまで 「仕組みを知るために、ロンドンのZero wasteレストランで10日間働いた。帰って来て企画書を書いて、2017年の10月に動画を撮って、シェフに声をかけて、年末に今のガールフレンドと出会って2018年4月には彼女と一緒にレストランを始めることにして、物件を見つけた。工事に7ヶ月かかって、2019年3月にオープンした。 開業資金を集めるために、いろいろなところに企画書を持ち込んだけれど、当時は誰も興味を持たなかったから、GFと二人、有り金を全て注ぎ込んだ。 今なら、レストランがうまくいっているという実績ができたから、もっと簡単に資金調達できるだろうけれど」   「”Zero wasteのビーガン・レストラン”というと、可能性を狭めているように聞こえるかもしれないけれど、本当はその逆だ。縛りがあるからこそ、さらにクリエイティブになれる。Zero wasteのビーガンが、ビジネスとして成り立つということを世の中に示せたことは本当に良かったと思う。もっと客単価を高くしてもいいという人もいるけれど、ランチ10ユーロ前後でカジュアルに食べられることに意味がある。持続可能な生活をしたいと思っている人はたくさんいる。彼らが “今日は家で料理したくないな” と思った時に気軽に来られるレストランにしたいんだ。 ビーガンは金持ちのものだと言う人もいるけれど、そんなことはない。やり方を知っていれば誰でも簡単に実践できるライフスタイルだ」 「レストランはとても流行っている。今日も明日もディナーに100人の予約が入っている。将来、ベルリン以外の街に店を出すかもしれない。 ベルリンにはFreaのスタイルが似合うけれど、別の街には別の街のスタイルがあるだろう」 「お客さんはの反応はとてもいい。気に入らない理由がないだろう? 店の内装は、家庭的な、実家を思い出すような場所にしたいと思った。 家具、グリーン、カトラリー、料理、照明、味、飲み物・・・全てが懐かしい感じを醸し出している。 家具も、新しいものをわざわざ用意するんじゃなくて、できるだけ持続可能なものを集めた。ebayでユーズドを探したり、天然素材のものを集めたり。例えば、このランプシェードは、マッシュルームから作られていて、いつでもコンポストにできるんだよ。面白いだろう? 全部GFと二人で選んだ」 「スタッフには、何が大事か、何を目指しているのか常に伝えるようにしている。最初の1年間は、毎日来て、店が開いている時間はずっと張り付いているつもりだ。今自分たちはオリジナルの宇宙を作り出している最中だから、ひと時も目を離さずに、ずっと見ていたいんだ。 どこから来たのかわからない材料をただ温めて混ぜて完成というレストランがたくさんあるけれど、Freaのシェフは何をしなければならないのか良く分かっている。丁寧に繊細に。ジュースとアルコール以外は全部自分たちで作っている」   「 “廃棄物ゼロ”は、ただ単に廃棄物を減らせばいいっていうだけじゃない。 廃棄物ゼロは哲学だ。もっとクリーンに、もっと環境によく、もっとサスティナブルにというメッセージだ。 食品について、本当にそれが必要か、いつ必要なのか、本当に必要なのか考える。 どこからきた食品なのか、どうやって運ばれてきたのか、どうやって育てられたのか気にして食べる。 例えば、アボカドは、環境にとても悪いから、絶対に扱わない。 アボカドが育てられているのはカリフォルニアの雨がほとんど降らない地域なのに、大量の水を必要とするから、アボカドを育てるためにパイプラインを引いて水を与えているんだ。アボカドのために。信じられないだろう?」 「やってみたら簡単だから、世界中に廃棄物ゼロレストランが広がってほしい」 野菜くずや残飯などの食品廃棄物は、全てコンポストに入れられて、24時間後には肥料になり野菜の仕入れ元の農場に返される。また、ここではプラスチック類は一切使われていない。野菜などの素材はそのまま運ばれて来る。 週替わりランチのメインは二種類から選ぶようになっている。 メニューをいろいろ用意しすぎないのも、食品廃棄物を減らすための工夫だろう。 ここにお客さんとして来た時にいただいたブロッコリー&椎茸のパスタは本当に美味しかった。ちゃんと、一つ一つの素材の味が引き立っていて、ベルリンでは珍しい歯ごたえ、食感が楽しめる味だった。 ランチ&ディナー 月曜から金曜: 12~15 週替わりランチ 火曜から土曜:18~22 ディナー 予約推奨 スターター:4ユーロから メイン:9ユーロから ランチメニュー小:13ユーロ(その週のスターター&おすすめメイン&飲み物) ランチメニュー大:16ユーロ(その週のスターター&おすすめメイン&デザート&飲み物) Frea https://www.frea.de/ Torstraße 180, 10115 Berlin Mitte   ベルリン・モロッコについての記事を書いています。 今までのお仕事リスト(日本語) Kaori Miyamoto’s writing work (En)

Kopps ベルリンで高級ビーガンレストランに行ってみる

ベルリンらしい食べ物というと、アイスバイン(豚肉の塊の煮込み)やシュニッツェル、チープ系ならビールにソーセージやケバブとこってり系が有名だけれど、私の周りには肉を大量に食べますという人はほとんどいない。 40歳以下のベルリン人には、ベジタリアンやビーガンの人が非常に多い。おしゃれで健康的で、ヨガまたはピラティスに通っていたら大抵ベジタリアンかビーガンだ。 ドイツ全体では、10%がベジタリアン、1%がビーガンだ。(2016年)ベルリンの実感としてはもっと多く、若年層ではさらに増えるだろう。 レストランがベジタリアン・ビーガン対応なのは当たり前。ビーガン専門レストランだけで50軒以上あるとか。 ベルリン中心部、ミッテに面白いビーガン専門レストランがあると聞いて行ってみた。 Come together ~みんなで同じテーブルを囲む 2011年のオープン以来、ビーガン激戦区、ベルリンでも特に注目されている高級ビーガンレストランKopps。 地産地消の厳選された素材を使った、アーティスティックな料理が食べられると評判の一軒だ。 ディナーはドリンク別で一人50ユーロ程度からなので、物価が安いベルリンの感覚では高め。記念日や誕生日に行くレストラン、というイメージだが、毎週火曜日の夜に限り、25ユーロで3コース(前菜・メイン・デザート)をいただける、Come Together というイベントが開催されている。 Come Togetherでは、大きな長テーブルに参加者のお客さんが座り、同時にサーブされるおまかせ料理を一緒に食べる。 予約不可、早いもの順ということだったので、17:45ごろに行ってみると、すでに5人程が扉の前で待っていた。1人で行っても、2人で行ってもいいけれど、3人以上だと多いかも。18:15以降は参加できない。 Come Together の年齢層は低めで、20代と30代前半。 高級ビーガンを試してみたいけれど、普通のディナーメニューは高すぎるので、このイベントに参加したという雰囲気の人が多かった。 ドリンクは別なので、メニューから選ぶ。 知らない人同士、みんなで一緒に食べようというイベント。雰囲気は、小規模のパーティーに居合わせた人同士という感じで、最初はぎこちなく会話が始まる。以前も、マラケシュで、こういうスタイルのランチに行ったことがあるのだけれど、マラケシュの場合はオーナーが真ん中に座り、会話をリードしてくれたから楽だったけれど、ここは放置。そして会話のメインはドイツ語。ドイツ人はシャイ。(マラケシュではフランス人とベルギー人だった) アミューズに続いて前菜が来た。 こんな風に美しくて繊細な味をベルリンでも食べられるんだ・・・ それもビーガン専門レストランで。 ベルリン・ビーガン事情 美味しいですね。きれいですねなんて話していたら、だんだん会話が盛り上がり、向かいに座っていた若いドイツ人のカップルと、食のスタイルについて話をした。 二人は20代後半で、来年結婚予定。結婚式で使うケータリングサービスを探して、ビーガン専門レストランを食べ歩いているらしい。 彼の方が付き合う前からビーガンで、彼女は彼の影響で食生活を変えたというので、彼にビーガンになった理由を聞いてみた。 「牛乳や牛肉の生産についてのドキュメンタリーを見たことが最初のきっかけで、自分が食べているものについて考えるようになって、その結果選んだのがビーガンというスタイルだった」 近い将来子供が欲しいという話になったので、子供が生まれたら何を食べさせるの?と聞いて見たところ、 「家ではビーガンで育てるけれど、外では好きなものを食べたらいいと思う」 という。彼女のお父さんは、動物の解体からできるシェフで、ビーガンとは正反対の生活スタイルの人。でも、たまにうっかり動物由来の調味料を使いそうになる他は、親子の食のスタイルが違っても特に問題はないそうだ。 Koppsの感想は、「とても美しくて丁寧でおいしいけれど、自分たちの結婚式に使うには高級すぎる」とのこと。「でも、みんなで食べるCome Togetherというアイデアはとても面白いね」と言っていた。 英語ができる人は、Come together に行って、ベルリナーと会話をかわしてみるのも面白いかもしれない。また、土日の16時までやっているブランチビュッフェも様々なビーガンメニューが揃っていて人気だ。素材の味がしっかり生かされたシンプルな料理から、何が原材料なのか分からない、創作料理までいろいろある。 旅行中は野菜不足になりがち。ビーガン、ベジタリアンの人はもちろんのこと、そうでない人も、お野菜をたっぷりいただきたい、という時にオススメ。観光地の真ん中にあり、アクセスも良い。   Come together 祝日や特別な日を除く毎週火曜日18:00から 3コースメニュー25ユーロ(飲み物別) 週末ブランチ:18ユーロ 夜のアラカルト スターター5ユーロから メイン18ユーロから デザート12ユーロから Kopps Linienstraße 94 10115 Mitte Berlin Tel.: (030) 43209775 https://www.kopps-berlin.de/en/   営業時間: 月曜〜金曜:18:00~22:00 土曜&祝日: 9 : 30〜22 : 00 日曜日:09 : 00〜18 : 00 カードOK(通常メニューのみ。ブランチ、Come togetherは現金のみ) Come togetherは予約不可。通常のディナーは要予約。 S-Bahn Hackescher Markt から徒歩12分 U-Bahn 8 Rosenthaler Platz から徒歩4分 ベルリン・モロッコについての記事を書いています。 今までのお仕事リスト(日本語) Kaori Miyamoto’s writing work (En)

環境に良いことをしよう…そして節約しよう!廃棄食品専門スーパーSir Plus

Sir Plusは2017年9月にベルリンで始まったスタートアップだ。 彼らは、廃棄処分予定の食品を集め、実店舗とオンラインショップで定価の20~80%引で販売している。ベルリン市内に3店舗を構え、取り扱い商品種類は400種類、1日の利用者数は1200人、従業員数70人だ。 テンペルホーフ空港跡地にある1000平米の倉庫には、メトロなどの大手スーパーマーケット、ビオ・スーパーマーケット、卸業者、生産者などから集められた25万点の食品が保管されている。創業からの2年弱で1800トンの廃棄食品を販売した。 フラッグショップのシュテーグリッツ店で創設者のラファエル・フェルマーにインタビューして来た。     ドイツの食品廃棄の現状 ドイツでは毎年1800万トン、全流通量の1/3の食品が捨てられている。(WWF) (日本は毎年2759万トン/環境庁)(*1) ドイツ連邦食品農業省ウェブサイトによれば、食品廃棄物の61%が一般家庭から、17%が飲食店から、17%がスーパーなどから出ている。(*2) 2012年の調査によれば、一人のドイツ人あたり、年間81.6キロを廃棄しており、4人家族であれば、食品廃棄による金銭的損失は年間940ユーロに登る。     食品廃棄の理由は様々で、賞味期限切れ、形が悪いから、値崩れ防止、過剰生産、パッケージに傷がついたから、前日のパン、茶色くなったバナナなど・・・。フランスやチェコではスーパーマーケットによる食品廃棄が禁止され、コンポストやホームレス支援などに利用されるようになっているが、今のところドイツにはそのような法律はなく、WWFから批判されている。     環境に良いことをしよう…そして節約しよう! Sir Plus のキャッチフレーズは”Schone die Umwelt…und spare dabei Geld!”。日本語に訳すと「環境に良いことをしよう…そして節約しよう!」。 フラッグショップがあるシュテーグリッツは、ベルリン西部の高級住宅地だ。 お店は地域のメインステーションから徒歩2分の大通り沿いの好立地、私が到着した時も何組ものお客さんが入店していた。 “環境のことを考えています、食に関して常に考えています。ビーガンです”という雰囲気の人ばかりかと思いきや、店内で買い物を楽しんでいるのは、通りを歩いている人々の構成そのままだった。老若男女、豊かそうな人から、そうでもない雰囲気の人まで。痩せている人も太っている人も、いろいろな人が混じっている。   (できるだけお客さんを写さないようにしたので、空っぽに見えるが、実際はたくさんのお客さんが買い物を楽しんでいた) ベルリンのスーパーでは珍しい光景だ。 例えば、私の住まいの近所のショッピングモールにはスーパーが4つ入っている。 高級・品質重視系・激安系・ビオ系・トルコ系の四店だ。 最初に見たときは、スーパーばかり軒を並べてどうするのだろう?と思ったけれど、はっきりと利用者層が分かれるので、それぞれに需要がある。 ビオスーパーで買い物をする人は、激安系には足を踏み入れないし、その逆もない。 Sir Plus の店内には、お店のスローガン通りの「環境に良いことをしよう…そして節約しよう!」 な人もいれば、「節約しようと思ったら、いつのまにか環境に貢献していた」という人もいそうだ。 もちろん、Sir Plusを利用することが環境問題を考えるきっかけになってくれたら嬉しいけれど、本来捨てられるはずだった食品を購入することで環境に貢献しているわけだから、どんな人も歓迎する。一度利用してみれば、 Sir Plus の食品が、まだまだ食べられるものだということがわかるし、これから“賞味期限切れ”で何かを捨てようと思った時に、少し考えてもらえれば、それだけでも大きな変化だ。 ”これはダメ、あれもダメ。世界にはこんな悪いことが起こっている、地球は無茶苦茶だ” というネガティブな方向からではなく、“今日も廃棄食品を救った。良いことをした、美味しく食べた”というポジティブな方向から食品レスキューを展開して行きたい。   賞味期限と消費期限 450平米の広い店内は、温かみのある楽しい雰囲気で装飾されている。 予想通り、有機栽培の野菜やビーガン向けの食品もあったが、DOVEの石鹸、M&M、ハーシーズのチョコレートなどのマスプロダクトもあった。冷蔵庫にはヨーグルトや生パスタ、チーズなどが並ぶが、これらは週に5回、大手スーパーマーケットのメトロ各店から引き取ってくるものだ。広い店内には、様々な食品、飲み物、生活用品が並び、これらの全てが廃棄される予定だったことを想像し驚いたが、彼らの倉庫には、実に25万点の商品が保管されているという。   (M&Mには、定価2.99ユーロが1.95ユーロ。35%引き。賞味期限は2019年5月2日であると書かれている) 廃棄食品をレスキューすることに意味がある。当然のことながら、ビーガン食品よりも一般食品の方が量が多く、一般食品をレスキューすることは、それだけ環境に対して意味があるから、どちらも扱うことにしている。Sir plusは大手既存スーパーマーケットの敵ではなく、彼らと助け合い共存していきたいと思っている。   商品紹介には、値段とそれぞれの「賞味期限」が明記されている。 「賞味期限切れ」の商品を扱っているのだから当然のことながら、一ヶ月前、二ヶ月前に期限が切れている商品が堂々と並べられている光景は衝撃だった。 買い物客たちは、じっくり説明を読んで、割引率を見て、「賞味期限とは何か」という説明ポップも読んでカゴに入れている。     賞味期限とは何か? EUの規定によれば、「適切に保存されていた場合、味、見た目、品質が基準以上であること」 メーカーは安全をとって賞味期限を短めに設定するため、実際は賞味期限切れでもほとんどの食品が食べられる。 販売する場合ははっきりとそれを消費者に伝える義務があるだけで販売自体は合法だ。 賞味期限内の食品の品質についてはメーカーが責任を持つが、賞味期限切れの後は、販売者の判断・責任になるため、そのリスクを負いたくない販売者は廃棄してしまうことが多い。 WWFは、消費者の選択肢が増えるよう、賞味期限ではなく、生産年月日を記載することを求めている。 また、ドイツ連邦食品農業省は、一般消費者が混同しがちな「賞味期限」と「消費期限」の違いを消費者に教育する必要があるとしている。 消費期限は、肉などの「この日以降は食べてはならない」という日付だ。   自分の五感を信じること 消費期限がある商品は、消費期限前に食べるようにするとして、賞味期限切れの商品の本当の「消費期限」はいつのなのだろう。 若いドイツ人は、賞味期限を一日でも過ぎていたら、簡単に捨ててしまう。まだ食べられるかどうか匂いを嗅いでみることすらしない」 「私たちの祖父母の世代には賞味期限などなかった。みんな、それが食べられるのかどうか自分の感覚を信じて食べていたし、その能力があった。 例えば賞味期限を少し過ぎた食品を機械的に捨てるのではなくて、その食品が生産されるためにどれだけのエネルギーが使われたのか、立ち止まって考えてみる。その上で食べるか、捨てるか判断する。 味見をしたり、匂いをかいだりして、自分の五感を信じるという当たり前のことを取り戻したい。   これからの五年間 最後に、これからの五年間で何をしたいか聞いて見た。 廃棄食品をレスキューするということが特別なことではなく、一般的な普通のことになってほしいから、ベルリンの外や他のEU諸国にもフランチャイズや直営店を増やしていきたい。現在そのためのクラウドファウンディングを行なっている。また、生産者と直接繋がって、流通に乗る前に廃棄されていた形の悪い野菜などを使い自社ブランドの食品を作りたい。 インタビューがほぼ終わり、雑談をしていたら、ラファエルが「食べるということはエモーショナルなことだ」と言った。それはどういう意味なのかと聞くと、 ドイツ語のLebensmittelという言葉は、単に「食品」を指す言葉だけれど、Lebenというのは”生きる、人生、命”という意味で、もう少し哲学的な意味がある。 誰かと何かを食べること。 美味しさに感動すること。 誰かのために料理をすること。 食べたもので私たちの体ができていること。 特に都市には、自分だけの力で孤独に生きていると感じている人もいるけれど、私たちは、食べ物とつながりあって、食べ物に助けられて生きている。 人間が自然を助けるのではなく、自然が人間を助けている。 だから、食べるものをリスペクトして、何を食べているか、意識しながら生きることはとても大切なことだと思う。   私は肉も卵も魚も食べる雑食で、うっかり食べ物をダメにしてしまうこともけっこうある。賞味期限についても深く考えたことがなかった。 環境運動家と話をしていると、あまりにも真面目・真剣すぎて気後れしてしまうことも多いのだけれど、Sir Plusにはありとあらゆる雰囲気の人がいて、気軽に利用できるところが良いと思った。 インタビュー当日は、その後の予定があり買い物できなかったが、今度改めて買い物に行ってみよう。環境と節約のために…または節約と環境のために。     *2:ゴミの量の統計の問題 正確な数字を算出することが難しいため、政府、WWFなど引用元により異なる。例えば非可食部(バナナの皮など)を統計に含むかどうか、は統計により異なる。また、生産者によって流通前に廃棄される食品は、統計に含まれないので実際の量はさらに増えると推定されている。 *1:日本の食品廃棄物 「平成28年度の食品廃棄物等及び食品ロスの発生量の推計結果を公表しましたので、お知らせします。食品廃棄物等は約2,759万トン、このうち、本来食べられるにも関わらず捨てられた食品ロスは約643万トンと推計されました」(環境庁HPより) 参考: WWF/Studie Bundeslaender und Lebensmittelverschwendung https://www.zugutfuerdietonne.de/ 環境省_我が国の食品廃棄物等及び食品ロスの発生量の推計値(平成28年)    

BAUHAUS100周年 2 バウハウス・デッサウ校舎 ガイドツアー&実用情報

デッサウ校舎のガイドツアーに参加してきた。 英語ガイドツアーは金曜日のみなので、土日にはドイツ語バージョンしかない。 チケットを購入する際に、「デッサウ校舎」と「マイスターハウス」のガイドツアーに参加したいというと、デッサウ校舎はガイドツアーに参加しないと入れない部屋がたくさんあるけれど、マイスターハウスは「個人でもツアーでもアクセスできる部屋は同じなので、(ドイツ語があまりうまくない)あなたには不要です」 と言われたのでデッサウ校舎のツアーだけ参加した。 ガイドツアー所要時間は1時間/7ユーロ。 講堂やグロピウスのオフィス、寮は、個人では入れないので、ドイツ語が全くわからなくてもツアーに参加する価値はあると思う。 ただし、ツアー参加者は20人くらい居て、みんなでぞろぞろ移動するのでゆっくり見ることは難しい。ツアーで一通り歩いて、後から気になったところはもう一度見て回っても良いかもしれない。   時代背景 1902年 アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが「工芸ゼミナール」を設立 1914年 第一次世界大戦開始 1915年 グロピウスが工芸ゼミナールの校長になる 1918年 第一次世界大戦終結 1919年 国立ワイマール・バウハウス設立 1921年 パウル・クレーが教授として参加 1922年 ワシリー・カンディンスキーが教授として参加 1923年 デッサウに航空機メーカーのユンカース発動機工場有限会社が設立 1925年 デッサウ市立バウハウス設立 1928年 ハンネス・マイヤーが校長になる 1929年 世界恐慌 1930年 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが校長になる 1932年 バウハウス、ベルリンに移転 1933年 バウハウス解散 1933年 ヒトラー内閣 1939年 第二次世界大戦開始 1996年 ワイマールにバウハウス大学が設立された 1999年 デッサウに「バウハウスコレーグ」が設立された     デッサウでは当時、ユンカース航空機などの製造業が盛んで、市としてバウハウスの招致に積極的であり、公共、私企業を問わずバウハウスと密接な関係を結び新しい素材や製品が開発された。 第一次世界大戦で破壊された街の復興のために、新しいデザイン、建築が必要であるという信念があった。 芸術と技術を融合させ、大量生産が可能な仕組みを作り、一般市民にシンプルで美しいデザインの住宅や家具、道具を供給する。赤、青、黄色の三原色と三角、丸、四角というシンプルな形がバウハウスの基本となり、1933年に閉校するまでの14年間で、モダン建築、デザイン、芸術、絵画などに大きな影響を残した。 第二次世界大戦前後に多くのバウハウス関係者はアメリカに亡命し、様々な形でバウハウスの活動を引き継いだ。   [Work shop ワークショップ] ガラスのカーテンウォールが素晴らしいワークショップ。 グロピウスは「透明である・オープンであること」にこだわって、このガラスのカーテンウォールをデザインした。 天井のライトは、1926年にマリアンネ・ブラントとHans Przyrembelがデザインしたもの。バウハウスで見かけるデザイン全てに思うことだけれど、100年近く前にこのスポットライト型ランプがデザインされて居たことに驚く。当時、車を持っていたのはグロピウスだけで、バウハウス校舎の周りには馬車が走っていた。 第二次世界大戦中、1945年に近くに爆弾が落ち、ガラス・カーテンウォールは破壊された。戦後しばらくの間は、窓はレンガで覆われ、爆撃された近所の病院の代わりになっていたので、バウハウスで生まれた人もいる。   1963年に再建が始まり、ガラス窓が再生されたのは1976年のことだった。 バウハウスのオリジナルの素材には、当時実験的に作られたものが多数あり、この部屋に使われて居たガラスも、現在のガラスよりもよく光り、反射するクリスタルガラスだった。そのため、外から見た時のバウハウスの印象は、現在よりもさらに強烈なものだった。 残念ながら、今はもうオリジナルと同じ素材は手に入らない。 1976年に、バウハウスに関係するものの収集が始まった。現在ではそのコレクションは、45000点に上り、9月にオープンする博物館に展示される予定だ。オリジナルの家具は全て博物館に展示される予定なので、校舎内に置かれている家具のほとんどはレプリカだ。 この部屋は、夏は暑く冬は寒く、真夏は男性達は上半身裸で作業をしていた。 この窓枠のメタルの色は、黒だったと長く信じられてきたが、最近の研究により、オリジナルは薄いグレーだったと考えられている。 モダン建築には、1920年代の白黒写真の影響で、コントラストの強いモノトーンのイメージが強いが、実際のデッサウ校舎には、様々な色があふれていた。   [グロピウスの執務室] グロピウスはこの部屋で、学生やマイスターたち、バウハウスの製品製造を請け負う近隣の工場や会社の代表者などと会った。 床は焦げ茶色のトリオリンで作られている。 当時、すでにリノリウムの床は発明されていたが、第一次世界大戦後、リノリウムには高い税金がかけられ、非常に高価だったため、代用品のトリオリンが使用された。トリオリンは、耐火性が低いため現在では使用されない。 レモンイエローのアームチェアー(1920)や桜の木でできたデスクは、グロピウス自身がデザインし、ワイマールからデッサウに持ってきたもののレプリカ。 一般的には、立場が高い人がすわり心地の良いアームチェアーにすわり、学生などの立場が低い人がシンプルな椅子に座るものだが、この部屋では高い立場のゲストも、低いゲストも、常にアームチェアーをすすめられた。アームチェアーの肘掛は、新聞を広げて読むときに腕が疲れないよう、最適な高さにデザインされている。 グロピウスは、マルセル・ブロイヤーの最新作に座ることを好んだ。   [エントランスエリア] 当時の建物には、立派な正面玄関があるものだったが、このデッサウ校舎には“正面”がない。また、玄関に入ったら壁があるものだったが、ここではオープンな空間と大きな窓があり、ガラス越しに素晴らしいパノラマが楽しめる。 天井ランプのデザイナーは、ロシア人のマックス・カイエスキー(Max Krajewski) 。彼は従来のナシの形のランプではなく、細長いランプ円筒型のランプをデザインした。   [講堂] 講堂の椅子も、マルセル・ブロイヤーが手がけた。 当時感染症がはやっていたため、清潔を保ちやすいように、シンプルなフレーム&洗える布、というデザインにした。(ペニシリンが発明されたのは1929年) バウハウスデザインの講堂は世界中でここにしかない。 バウハウスでは、ダンスや音楽なども取り入れられ、この講堂で披露された。 講堂の隣には食堂があり、当時は学食として使用されていた。今でも宿泊客、観光客、学生、スタッフの食堂として使われている。     バウハウスという名前はバウヒュッテBauhütteという言葉から来ている。 バウヒュッテとは、中世ドイツの職人協同組合を指す言葉で、マイスターを頭とする徒弟制度が特徴。デッサウ・バウハウスでもその思想が取り入れられて居たため、教師はマイスターと呼ばれた。     マリアンネ・ブラント(1893-1983) 1924-1926年学生としてバウハウスに在籍。クレーやカンディンスキーの教えを受ける。金属工房唯一の女性。1933年までバウハウス関連の仕事につく。彼女がデザインした卓上ランプは、バウハウスデザインの中で、現代までに最も広く普及しているデザインのひとつ。   Hans Przyrembel (1900-1945 ) ドイツ・ハレ出身 鍵屋の見習い終了後、第一次世界大戦従軍。 1924-1928年 バウハウスに在籍。マリアンネ・ブラントとともに様々なデザインを生み出し、1932年にはマイスターになったが、第二次世界大戦に従軍。1945年に亡くなった。   マックス・カイエスキー(Max Krajewski) また、彼は一時期プレラーハウス(寮)で暮らし、1930年までバウハウス関連の仕事をして居たが、1931年にソ連に移住した。     [入場&ガイドツアー詳細] シングルチケット バウハウス・デッサウ校舎、マイスターハウス、コンシュームビルディングのうちの一軒のみ入場可能。当日のみ有効。 8.50ユーロ/5.50ユーロ(割引)18歳以下無料 オールインワンチケット 全ての建物にそれぞれ一回に限り入場可能。3日間有効。 15ユーロ/11ユーロ(割引)18歳以下無料 (デッサウ校舎ではチェックがなかったので複数回入場可能だった) ガイドツアー:7ユーロ・割引料金なし・18歳以下無料 オーディオガイド(日本語あり):5ユーロ 写真撮影許可:5ユーロ バウハウス・デッサウ校舎 10:00~17:00 マイスターズハウス 10:00~17:00 12/24~26、12/31~1/1を除く毎日 英語ツアー:金曜日のみ 12:00 バウハウス・デッサウ校舎 13:30 マイスターズハウス […]

BAUHAUS100周年 1 バウハウス・デッサウ校舎の学生寮に泊まる

観光客として、ある建物を見に行く。 自分で見て回るにしても、ガイドツアーに参加するにしても、歩いて、立ち止まって解説を聞いて、写真を撮って、ちょっと眺めて納得して、また歩き始める。 5分も立ち止まれば長い方だ。 昔から行って見たかったあの場所に行った。 という思い出と、写真が残る。 もちろん、それは素敵なことだけれど、建物というのは、本来、ある一定の時間滞在するための入れ物だ。 学生ならその建物に毎日通って学んだり人と触れ合ったりするための場所。 誰かの家であれば、そこには毎日の営みや子供達の成長、喜怒哀楽があったはず。 解説には、その建物が何年にどんなスタイルで建てられ、誰が暮らしていたのか書いてあるけれど、5分の滞在時間では、それを読むことはできても、暮らしを実感することは難しい。 デッサウのバウハウス校舎に行ってみたいと思い、検索していたら昔の寮に泊まった人の記事を見つけた。 私が暮らすベルリンからデッサウまでは電車で1時間20分ほど。日帰りで行くつもりだったけれど、バウハウスの寮で暮らすという経験をしたくて泊まることにした。 バウハウス学生寮(Prellerhaus)を予約する メールまたはフォームで問い合わせるようにとHPに書かれていたので、希望日を書いたメールを送ると、翌日「残念ながら一杯ですが、近所のホテルを推薦します」という返信がきた。 「今回の宿泊の目的は、学生寮に泊まることなので、7月後半の空き状況を教えてください」 「7月後半のダブルルームはほぼ満室。7月*日のみ空きがあります」 「ありがとうございます。では、その日に伺いますので予約確定してください」 というやり取りの後、予約確認書PDFが送られてきた。 支払いは現地、クレジットカードの確認などはなかった。   夏休み中なので9歳の息子と12歳の娘、私の3人だ。 「どんなところに行くの?泊まるの?」 「100年近く前に建てられた学校の寮」 「・・・・そこってきれいなの?」 「行ったことがないから分からないけれど、きっと素敵なところよ。昔のデザイナーや建築家の卵、学生が暮らしていたところなんだって。でもシャワーやトイレ、テレビはないらしいから、UNOでも持って行こう」 「トイレがお部屋にないの?合宿で行ったみたいなホステルなの?」 「ちょっと違うけれど、とりあえず行ってみよう。行って見たらわかるから」   バウハウスって何? 「20世紀初頭に始まった芸術と技術の融合、モダン建築の・・・」 と言葉で説明することも、いろいろ読むこともできるけれど、芸術と技術の融合って何?と考え始めるととてもむずかしい。 でも、実際に行って学生寮の部屋に落ち着いて、窓を開けたり閉めたりして、窓開閉のシステムや窓枠の重さを体で経験すると、少しだけわかる。 ベルリンからデッサウまで電車に乗り、駅から学校まで歩くと、本当に何もない田舎に、バウハウスが現れた時の周りの人々の驚きや感動が少しだけわかる。 ベッドにゴロンと転がって、壁一面の窓の中で雲が流れて行く様子、刻々と変わる空の色を見たり、風を感じたりすると、もう少しだけわかる。 カーテンを開け放しにして東から昇る朝日で目覚めるという、昔の学生達と同じ経験をしてみると、さらに少しだけわかる。 当時の学生が暮らした寮に泊まり、バウハウス的なものだけに囲まれて、一日だけ彼らと同じような暮らしを経験する。 こんな贅沢な経験で得られること、感じられることは、文章で読むことの何倍も大きい。   プレラーハウスと呼ばれるこの寮には28部屋あり、ドイツで最初の学生寮だった。1ヶ月の家賃は20ライヒスマルク。はっきりとは分からないけれど、現代の価値にして1万円くらいだろうか。 学生と若手の先生たちが暮らしていた。最盛期には、200人の学生がいたので、この寮で暮らせるのは優秀な選ばれた学生のみ。 当時の部屋にはバウハウスデザインのベッド、クローゼット、バルコニーがあり、各フロアには共同キッチン、シャワー、トイレがあり、地下には学食とジムがあった。 寮が完成した1926年という時代を考えてみよう。日本の昭和元年。1929年の世界恐慌の直前。ココ・シャネルの時代、華麗なるギャツビーの時代だ。 私たちが泊まった部屋は、白と窓枠の黒のモノトーンのお部屋だったけれど、実際に寮として使われていた頃は、壁に絵が描かれていたり、実験的な家具が置かれていたり、それぞれ個性的な部屋だったのではないか・・・と想像する。(モダン建築のイメージがモノトーンになったのは、昔はカラー写真が珍しく、ましてや実際に訪問することも珍しかったからという話をどこかで読んだ)     翌日、あっという間にベルリンに到着。 いつもは何とも思わない駅からの道がごちゃごちゃして見える。 「すごく楽しかった。また行きたい。今度は一週間くらい居たい」と娘。 「あら、一週間も居たいの?」 「だってなんか気持ちよかったじゃない?スッキリきれいで。おうち帰ったら模様替えしようよ」 「うん。僕も好きだからまた行こう。蜂が多かったけど」と息子。 「そうねえ、もうすぐ美術館オープンするみたいだから」 「でも、人がいっぱいだと嫌だから、美術館がオープンする前に行きたいなあ」と娘。 なんか気持ちよかった。 よくわかる。 写真でみると、単なる白い箱なのに、その空間に滞在してみると、自然の中にいるような心地よさを感じる。 夕方、ツアー客などが居なくなり、静かになった学校を歩いてみた。 少し落ちてきた太陽が白い壁に色をつけ、ガラスに模様をつける。 シンプルなのだけれど、自然の暖かさがそのまま伝わってくるのが面白い。 この建物を作ったヴァルター・グロピウスは、空が大好きだったのだろうなあ。光の入り方とか、影の入り方とか、完璧に計算され尽くされている、自然。       宿泊情報 シングルルーム16室 40~45ユーロ ダブルルーム6室 60~65ユーロ リコンストラクトルーム(シングル)50~55ユーロ エキストラベッド10ユーロ。 朝食別。 チェックイン&アウト: チェックイン14:00・チェックアウト10:30 チェックインは、インフォメーションデスクで。 チェックアウト(鍵の返却)は、ビストロで。 設備: リノベーションされているけれど、基本は昔の学生寮。 各階に共同キッチン、トイレ、シャワーあり。(トイレ、シャワーは最近改築されたらしくきれい) エレベーターなし。 お部屋には、タオル、ベッドリネン、毛布、洗面台、デスク、ベッド、バルコニーあり。他に必要なものがある場合は持参すること。 地下にロッカールームがあるので、チェックイン前後の荷物を預けられる。(1ユーロ。1ユーロコインのみ) ミニバーはない。各フロア共同キッチンに小さな冷蔵庫や電気ケトルがあるので、冷たい飲み物やお茶を持参しよう。学校内、近くには選択肢があまりないので、ベルリンまたはデッサウの駅で買っていくことをオススメする。 レストラン&カフェ: カフェ・ビストロ 月〜土曜 8時から24時 朝は朝食メニューあり。昼は簡単なサンドイッチなどと飲み物のみ。 夜はパスタ、サラダなどあり。カード使用は20ユーロ以上から。 日曜:8時から18時 食堂(昔の学食) 毎日:11時から15時 ホテルではないので、サービス業的な雰囲気はない。 「世界遺産に泊まらせてもらう」と言う気持ちで多少の不便は我慢。 何か問題が起こった時は、営業時間内(10〜17時)にインフォメーションデスクで相談する。 ベルリンからのアクセス: 最寄り駅:デッサウ中央駅(Dessau central station)から徒歩8分 ベルリン中央駅からはレギオナルエクスプレス(快速電車)RE7で一本。 乗車時間は1時間38分。一時間、二時間に一本しか走っていないので事前に時間確認のこと。 チケットはオンラインでも、駅の券売機、発券センターでも購入できる。 片道27ユーロ。

公共フェリー。ベルリンの夏

本日も最高気温は36度。 ヨーロッパの個人宅のエアコン普及率は5%だか6%だかとニュースになっていますが、もちろん我が家にもありません。 ベルリンの緯度は52度。北海道のさらに北にあるため、冬の寒さは問題になっても、夏の暑さは問題にならないはずの街だったのです。 でも、越してきてから三年目の夏ですが、毎夏“猛暑”と大騒ぎされているような・・・一昨年の夏は、猛暑日にうっかりガラス張りのイタリアンレストランに入ってしまい、ピザ釜からの熱とガラス張りの温室効果でグダグダになりながらピザを食べたし、去年は酷暑の東京から戻ってきたら、ベルリンはベルリンで暑く、扇風機が売り切れて手に入らないという悲惨な思い出があります。 今日もパソコンが熱を持って仕事にならないので、退屈している息子を連れてヴァンゼーへ。ヴァンゼーは、西ベルリンにある湖の名前です。 ヴァンゼーには湖水浴場もあるのですが、前に泳いだことのある娘によると、あまり綺麗ではないということなのでパス。 乗り物好きの息子と一緒にフェリーに乗ってきました。 ベルリンには、公共のフェリー路線が6本あり、今日利用したのはその一つ。 S Wannsee からAlt-Kladowを20分で結びます。 朝6時から夜8時まで、一時間に一本、毎時00分に出発します。 チケットは、ベルリンAB期間チケットが利用でき、ウェルカムカード、一日券も使えます。 乗船時のチェックはありませんが、乗船中に確認に回ってくるので、すぐに出せる様にしておきましょう。 湖面にはヨットやボートが浮かんでいました。 ベルリンでは、「趣味はボート、趣味はヨット」という人が結構いるのですが、私が聞いたことがあるのは全て男性。女性でボートを持っていますという人にはまだ会ったことがありません。 今日見かけたヨット&ボートも全員男性が操縦していました。 ヴァンゼーの岸にもたくさん停泊中でしたが、ヨット。 車と違って完全な趣味。 それも夏の間しか使えません。 もっと小さな湖で見かける、上質のゴムボートで良いんじゃ・・・? と思いますが、男のロマンなのでしょうか。 ちなみに、グリルボートというのを見かけました。 ベルリナーの友達によれば、名前そのまま。 ボートの上でバーベキュー&ビールを楽しむためのボートです。 6人くらい乗れるので、みんなで割り勘で楽しむのだとか。 ベルリン人はバーベキューが大好きなのですが、ほとんどの公園で禁止されており、どこで楽しむのかと思いきや、ボート・・・。 それは楽しそうです。 でも、操縦士がつくわけでもないので、みんなで楽しく酔っ払ってどこかに漂流していってしまいそうですが、海ではないので問題ないのでしょう・・・ そんなことを考えながら湖面を眺めて居たら、20分の船旅はあっという間に終わってしまいました。夏のベルリンには、遊覧船からカヌーまで、様々な乗り物がありますが、この公共フェリーもちょっとした船旅気分を味わえるのでオススメです。

ベルリン・天使の詩の女神、ヴィクトリアに会いに行こう

ベルリンの中心部にティア・ガルテンという名前の広大な公園がある。 その昔王侯貴族が狩を楽しんだという、210ヘクタールの広大な緑の中に、映画、ベルリン・天使の詩の、あの金色の女神の塔がある。 私は高いところが苦手なのだけれど、せっかくベルリンに暮らしているのだから、あの女神を近くで見てみたい。高いところといっても、たかが67メートル。300メートルのエッフェル塔にも登ったのだし、きっと大丈夫。と言い聞かせて行ってきた。 そもそも、戦勝記念塔のあの女神は誰? 女神の名前はヴィクトリア。古代ローマ神話に出てくる勝利の女神で、ギリシャ神話の勝利の女神ニケ(NIKE)と同じ。スポーツ用品のナイキの名前はニケから来ている。ブランデンブルグ門の上で戦車に乗っているのも、ヴィクトリアだ。 ヴィクトリアは、高さ8.3メートル、重さ35トンのブロンズ製。金メッキが施されている。 1864年、当時のプロイセン王国が、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 でデンマークに勝利したことを記念して、建設が始まり1873年に完成した。建設中に独墺戦争、独仏戦争が起こり、それらの戦争にも勝利したため、三つの戦勝を記念する塔となった。 元々は、国会議事堂前広場に建てられていたが、1930年代ナチスの“世界首都ゲルマニア計画”の一環で、現在の場所に移された。 第二次世界大戦後、フランスは「独仏戦争の勝利を記念する塔」の破壊を主張したが、アメリカとイギリスの反対により、そのまま残された。 戦争末期には、ドイツ兵が塔の中に立てこもって戦ったため、跡が多数残っている。 2008年 大統領選中のバラク・オバマが20万人を前にスピーチした場所としても知られている。 https://www.spiegel.de/video/video-33480.html   戦勝記念塔に登ってみたら 螺旋階段を登り始めるとすぐに一つ目の見晴台に出る。 ここは、おそらく2階か3階くらいの高さ。床に座ってくつろいでいる観光客もいて、気持ち良い空間。   塔の高さは69メートルで、二つ目の展望台は50メートルのところにある。 285段を登り続けると、螺旋階段はだんだん狭くなっていく。 当然のことながら、降りてくる人も同じ階段を使うから、本当にギリギリな感じ。狭すぎる。 とりあえず頑張って見晴台に出て、ヴィクトリアを間近で見たい。そう思って登り続ける。   展望台に出て見たら、展望台は思っていたよりもずっと狭かった。 その上、外側に向かって少し傾いている気がする。 そんなわけないと思うけれど、19世紀の建物だし、移転されているし、本当に傾いているのかも。 ヴィクトリアは・・・・と思って上を向いてみると、巨大すぎて一部しか見えない。 ベルリン・天使の詩で、主役のブルーノ・ガンツがヴィクトリアの顔の隣に座る有名なシーンがあるけれど、羽しか見えない。   そんなことを思ってキョロキョロしていたら、いきなりクラクラしてきた。 展望台からみるティア・ガルテンの眺めは素晴らしいけれど、もう限界。 頭クラクラ、足ガクガクで狭い螺旋階段を降りる。 iphoneによれば、18階分の階段を上ったらしい。 戦勝記念塔にチャレンジする人は、足腰をしっかり鍛えて行ってください。 アクセス:ベルリン動物園駅からアレクサンダープラッツを結ぶ便利な路線バス、100番のGroßer Stern (Berlin)駅下車。目の前。 お天気が良ければティア・ガルテンの中を歩いても気持ちいい。 ベルリン動物園駅及びブランデンブルグ門からそれぞれ約2キロ。徒歩約30分。公園内には、電動自転車や電動キックボードで移動している人も多い。 戦勝記念塔は、環状交差点の真ん中に立っている。記念塔につながるトンネルがいくつかあるので、絶対に地上を渡らないこと。 入場料:大人3ユーロ 学生・子供など2.5ユーロ(現金のみ) Straße des 17. Juni/ Großer Stern 10785 Berlin 入場可能時間: 4月〜10月 平日9:30〜18:30 土日祝日 9:30~19:00 11月〜3月 平日9:30〜17:30 土日祝日 9:30~17:30 12/24休業 ベルリン・天使の詩(1987年 西独/仏) 監督:ヴィム・ヴェンダース ブルーノ・ガンツ ソルヴェーグ・ドマルタン オットー・ザンダー クルト・ボイス ピーター・フォーク (ドイツ語版のみ購入・レンタル可能)

Caprivi / 雨の日もビアガーデン / ベルリンの夏の過ごし方

「川ぞいに素敵なビアガーデンがあるから行こう」 「でも・・・小雨降っているよ。」 「大丈夫。大きなパラソルがあるから!」 いや、気温20度、小雨、空はグレーとは言わないけれど、あまり晴れてないのにビアガーデン?という意味だったのだけれど、ローコンテクスト文化のドイツでは何事もきちんと説明しないと伝わりません。 面倒なので、小雨の中、シュプレー川沿いのビアガーデンに行ってきました。 こんな天気でビアガーデンに来る人なんて私達くらいでは・・・と思って行きましたが、そこそこ入っていました。 晴れた日はものすごく混み合うの?と友人に聞いてみたところ、かんかん照りの日は暑いからそんなに混まない。とのこと。 いや、暑いからビールじゃないのかと思うのですが、面倒なのでとりあえず飲んで食べます。 ビールは同じサイズのソフトドリンクよりも安いけれど、ベルリナー的にはちょっと高めの3.80ユーロ。ソーセージ、ポテトサラダなどの軽食あり。しかし何故どこに行ってもポテトサラダなのか・・・ 雨が止んで少し太陽が出て来ると、やっとビアガーデンらしい雰囲気になってきました。水辺でのんびり。 ベルリンとポテトサラダの関係は、今はどうでも良いです。美味しかったし。 ローカルで全然おしゃれじゃないけれど、西ベルリンらしい良い場所でした。 U Richard-Wagner-Platz (Berlin)から徒歩5分。 目の前にはシュプレー川クルーズ発着所があります。 ミッテから船に乗ってシャルロッテンブルクまできて、お城を見てからビアガーデン、というのもいいかも。 Berliner Kindl Jubiläums Pilsener 0.3L 2.60ユーロ 0.5L 3.80ユーロ ソフトドリンク 0.3L 2.80ユーロ 月曜から土曜:12時から 日祝日:10時から 4月1日から10月31日まで http://www.caprivi-berlin.com/ Am Spreebord, 10589 Berlin

U Richard-Wagner-Platz (Berlin)

リヒャルトワーグナープラッツ  U Richard-Wagner-Platz (Berlin) シャルロッテンブルグ宮殿/市庁舎の近くにあるということを除けば、特記することもない駅だけれど、駅のデザインすごい。現在の駅は、ベルリンの多数の地下鉄駅をデザインしたライナー G.リュムラー(Rainer G.Rümmler)により、ワーグナーの歌劇をイメージして設計された。   駅の入り口。青地にUは、地下鉄を意味するマーク。誰が書いたんだろう。。。? エスカレーターの足元にはもちろん落書き。 ドイツは、工業製品のデザインがいいけれど、駅のデザインも素敵なところが多い。 この赤の使い方・・・。  

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