型と型破り

 

娘がピアノを習って居るという事は以前の記事で書きましたが、習い始めてから一年半、娘はひたすら真面目に音の高さと長さを正しく弾く練習をし、それがピアノを弾く事だと思っていました。

先日ベルリンでレッスンを受ける機会があり、型の中で音楽を美しく奏でる方法を教えて頂いたのですが、お家で練習しているうちに、型が段々抜けて行き、自己流の「本人が音楽だと思っているもの」の比率が上がってきました。

練習しながら、自分の音にうっとり浸っています。

今まで、ピアノを弾いていてもどこかゲームをクリアすると言う感覚で、あっさり弾いていたのですが、今は、「私今音楽を奏でているの!素敵でしょ!!」と激しく主張しています。

親としてはそんな娘が可愛いなあと思うのですが、うっとりしすぎてテンポが無茶苦茶。本人は音楽を奏でているつもりなのに、聴いている方は入り込めません。

このまま、本人イメージしている音楽の果実が熟成して行くとワインどころかお酢になってしまいそうだなあと思い、ベルリンの先生にご相談すると、モーツアルトはテンポを揺らさない、通しで弾きすぎると粗くなるのでできるだけ部分練習をさせる様にと言うご指示がありました。一度メトロノームを使って弾かせる/動画を確認させると、自分でもおかしいという事に気がついた様で少し良くなりました。

平坦な音→型の中で少し音楽性が出て来た→どんどんはみ出して来た

5月の初めから今までの間にこれだけの変化がありました。

今はまだまだ指も手も、頭も出来ていないのですぐに型からはみ出してしまうため、補正が必要ですが、娘の「表現したい気持ち」が芽生えた瞬間を見ている様な感じがします。

ハイハイし始めの赤ちゃんを見ている様です。

放っておくとどこに行ってしまうか分からないので、危なっかしいけれど、今までは、大人に抱っこされないとどこにも行けなかったのが、自分で動ける様になり、あちこち探検し、新しい発見をし、いつか歩き出すための基礎を着々と作っている。でも壁にぶつかったり、落っこちたりしない様に見張っている必要がある。そんな感じです。

それにしても、音楽と言うのは難しいものですね。

  • 日々地味に練習し、一定の期間一つの事に取り組み続けなければスタート地点にも立てないけれど、努力しただけでは評価されない。
  • 基礎、テクニックが無い→形にならない
  • 楽譜に忠実ではない→作品にならない
  • 楽譜に忠実なだけ→つまらない
  • 荒々しい情熱→下品になる
  • 頑張っている事が周りに伝わる→未熟さの表れ
  • 自己陶酔が透けて見える→聴いている方はついて行けない
  • 感性が無い→アートにならない

音楽に限らず、様々なことに当てはまりそうな事。

こういう事を、子供の頃から経験し、一定の期間続ける事は、将来ピアノを続けるにしても辞めるにしても、大きな糧になりそうです。

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