その時、その場にいること

ある日、マラケシュの友達から動画が送られてきました。
モロッコの真っ赤な旗とクラクションの嵐。
サッカーの大事な試合に勝った様子です。

その時、私がマラケシュにいたらきっと彼女に電話して「今夜は眠れないね〜うるさいね〜道まで見にいった?全く箱乗り危ないよねえ。仕事にならないよねえ」と、興奮混じりに話していたでしょう。

アパートの中にいても、町中、国中の熱狂が伝わってきて、点が入った瞬間ドワーっと地響きのような音がして建物が揺れます。
それほど興味がある訳ではないけれど、大きな試合があるたびに、その熱は感染して、しらずしらずのうちに興奮の渦に巻き込まれるのでした。

大きな試合があると、どこから調達したのかメディナの小さな店にも工房にも小さなテレビが持ち込まれ、モロッコ人男性たちは仕事そっちのけでサッカーに夢中になります。当然仕事も遅れます。
ワールドカップやアフリカンネイションズカップがある年は、もちろんモロッコに勝ち進んでほしい気持ちと、納期が心配な気持ちの板挟みになるのが常でした。

友人から送られてきた動画を見て、そんなモロッコの日々を思い出しました。
でも、うすらぼんやり美化された思い出の中にいる私と、激しいクラクションとビビッドな興奮の渦の中にいる友達の感じている現実は全く異なります。
FBやメッセンジャーでいつどこにいても繋がり合える様になったけれど、手紙の時代の優しさと、想像力が懐かしい様な気がする、どんよりと曇ったベルリンの朝でした。

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